嗚呼!米国駐在員。
<目次>戻る進む


2005年10月16日(日) 目標管理制度の矛盾

わが社でも、一時のブームに乗って目標管理制度が導入されて早10年近く。

一方的に運用を押し付けられた社員からすれば、これが全く役に立っていないように思える。


1)自分の目標さえ達成すればいいという考えに陥りがちで、他社員、そして他部門との連携を考えなくなってしまう。情報の囲い込み現象が起きる。

2)数値目標に対する達成度をはかる、という意味では明確な評価は可能だが、結果が全てになってしまう。
商社の売上数字などというのは、運不運に左右されることも多いのだが、この制度下では本人の努力というものがなかなか反映されない。
例えば、昨今では原油や鉄鉱石などの原料、エネルギー関連、そしてトヨタやホンダなどの日本車に関係する部門は、黙っていても何もしなくても数字だけはうなぎのぼりである。

本来評価を受けるべくビジネスモデルを作った人よりも、好調な部署にたまたま在籍していた人の方が高い評価を受けることになる。

つまり、結果を出すためのプロセスや仕事の進め方に注意が向けられない。

3)金銭を目的にするような制度が本当に企業の発展に役立つのだろうか、という疑問。


要は、数字を出したもの勝ちの世界。
中国ではないけど、上に政策あれば下に対策あり、の世界。社員の中には、ほぼ数字が出せそうな目処がついたような商売を、さも新規目標のようなことに仕立て上げ、ほとんど出来レースで高評価を取るなんて当たり前の世界になってきている。これをテクニックというのだろうか。100%の社員が納得のいくような評価制度なんてこの世にないのだろうけど、目標管理制度というのは評価が明確にできる分、結局はその目標の達成水準の妥当性や目標に至る難易度の取り扱いに不満が出てくることになってしまう。

こうして海外駐在をしていると、この無駄な荒波から多少避難することが出来るのだが、日本に戻ればまたこんな世界に直面するのかと思うと何とも憂鬱である。

確かに会社にとって数字を挙げることは非常に大事な事であり、その基本は我々従業員も忘れることはない。
ただ、業績目標だけでなく、成果を挙げるために何をするか、という遂行手段も評価されることにならないと、将来的に非常に歪んだ会社体質になってしまいそうだという心配がある。それに、金というニンジンだけぶらさげれば全ての従業員が働くのかといえばそうではないともいえるだろう。


この制度っていうのもよく考えれば、管理職が部下の評価をする際に楽になっただけという気がする。
目標数字と達成数字は誰がどう見たってクリアなんだし、その比較で評価をどうするか自動的に決めるだけなんだから。となると、何であんなに大勢の役立たずな管理職オヤジがわが社に存在しているのか、という話になってしまうが、それは別の問題か・・・。


Kyosuke