嗚呼!米国駐在員。
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2005年03月15日(火) 若手に期待

新聞を読んでいて、ある企業の何周年記念かのパーティでの社長の挨拶で、「若手に期待」と述べた記事が出ていた。

嫌な言葉である。

そもそも、あえて「若手に期待」なんて取り上げる会社はろくでもない。まるで、私は偉いのですがもうどうしていいか分かりません、といっているようなものだ。オッサン、責任転嫁せずに自分も働けよ、と言いたい。

すでに若手がバリバリ活躍できるような会社は、わざわざそんな言葉は出てこない。
それが特別なものであるかのように、話題に出している時点で、その会社の雰囲気も想像できる。あえてそんなシチュエーションを作ろうとすることにも無理がある。


例えば会議がある。お偉いが最初に喋る。
「今日は若手のみなさんの闊達な意見を期待して…。」

最悪である。

これで安心してお偉いの取り巻きはろくなことを話さずに、目下に話題を振りまくる。若手は最悪である。腕組みしたお偉いの中、緊張して「自由闊達な意見」を言わないといけない。こんな時は何を言ってもオッサンの餌食になる。新たな提案は出来ないオヤジも、年下の意見に対して重箱の隅をつつくような批判は得意だからである。

実は、まさにうちの会社のことだから、よく身にしみて実感しているのである.


Kyosuke