嗚呼!米国駐在員。
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2005年02月08日(火) 英語よりももっと大事なものとは

自分のようにアメリカに住んで2年を迎えようという頃になると、英語での意思疎通が出来るかどうかの段階はなんとか越えて、次は「少しでもうまく(論理的に)話したい」という要求が出てくる。

その時に、「つくずく自分の日本語はいい加減だなあ」という事を痛感する。英語ではなく日本語が。
どういうことかといえば、英語でも日本語でも、頭の中がしっかり整理されていなければ、論理的に話すことなど出来ないという事を実感するということだ。日本語でまずは自分は何をどういいたいのかという整理が出来ていない場合、それを英語で話せる訳はないという事である。

同じ業界の仕事を10年もやれば、日本での取引先との会話は非常に楽である。お互いが細かい説明抜きに、暗黙の了解も踏まえて会話が進められる。どうやら自分はこれに慣れてしまったようだ。30過ぎで初めて海外に放り出された自分が、日本の事情なんて全く知らないアメリカ人に英語で色々説明しなければならないとき、振り返れば支離滅裂な説明になっている事がある。相手もキョトンとしている。最初は、英語力がないせいだ、と思っていたのだが、どうやらそれは違っていたようだ。

要は、自分の頭の中の概念がキチンと整理されていないのである。逆に、しっかり日本語で組み立てを考えてから英語で話してみると、例え発音がひどくても、単語も少なくても、相手にはしっかりと通じるものである。

よく、小学生の教育方法というのが取り上げられる。
日本語の読み書き文法よりも、英会話を重視する学校も増えているようだが、こんな経験をすると、それは間違いではないか、と思う。
語学はあくまでも手段である。自分の考えを相手に正確に伝える為の手段である。日本人としては、日本語ではっきり会話できる能力をまずはしっかり身につけるべきなのである。

よく、ネイティブと同じ発音をする子供を得意げに語る親がいるのだけど、所詮子供の英語は挨拶や日常会話まで。結局地に足のついたコミュニケーションが出来なければ意味はないし、日本人である以上、まずは日本語による思考回路をしっかりと身につけるべきだと思う。

英会話をあせる必要はないのだ。
まずは日本語で論理的に説明する能力、相手を説得出来る能力が必要である。そこを越えての英会話マスターはありえないと思う。所詮、語学は手段なのだから。


Kyosuke