嗚呼!米国駐在員。
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2004年09月09日(木) 会議でのオヤジ人間模様

今日はある投資会議の席に同席した。
投資というよりも、新規拠点を設立すべきかどうかという社内会議である。

ペーペーの自分の立場では何も決定権もないのだけど、こうした場にオブザーバーといえ同席出来るのは駐在員ならではかもしれない。
会議で話される内容はくだらないのだけど、自己保身と自己主張の狭間にあるオヤジたちの人間模様が面白かった。

日本からの出張者は、日本の我が部署の利益だけを考えたい。
でも舞台はここ米国であり、我々海外拠点の力を借りねば話が進まない、つまり海外拠点の負担、メリットを考えなければならない事も分かっている。よって、米国側に気をつかいつつ、かといって米国側においしい所だけをもっていかれないようなコメントをする。

「個人的にはこう思う(米国の立場も分かる)のですけど、自分の上の意見はそうは言わないと思う」

これではアナタはわざわざ日本から何をしに来たの、と思ってしまう。


この件は、事前に経営陣より拠点進出を前提に取り組めという指示が出ていた。
こんな前提の中で総じて多い流れは、色んな問題点や懸念点をあれこれと羅列しながらも、最後はやっぱり拠点を出すべきだ、という意見であった。この会議でも、さすがに真っ向から経営陣に反対して進出反対を叫ぶものはいない。

「俺は事前に問題点は指摘しておいたけど、最後は経営判断に沿った前向きな意見を述べたぞ」という模範的サラリーマン回答である。
当然そこには具体的な話はなにもない。

問題は、誰が責任持ってこれを仕切るか。 舵取り役も責任者もいない中での会議は、結論が出るわけがない。
かといってお偉いが公の場に登場するときは、すでに結論が出ているときだ。

会社に入る前、会議というものは、誰が「自分が責任持ってやるからやらせてくれ」と発言するかという場であり、何らかの結論が下される場と思っていたのだけど、そんなものは見当違いであり事がこの10年でよく分かった。

かくいう自分だって、いまから10年経ってこんな会議で発言する立場になれば、同じような主張無しオヤジを生き生きと演じているかもしれない。

それとも、こんなコテコテで時代遅れな日本企業にはもういないかもしれない。


Kyosuke