嗚呼!米国駐在員。
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2004年05月16日(日) 怒涛の中国出張 1

いよいよ中国出張の始まりである。
だが、いきなりハプニングがやってきた。今回の出張は、ヒューストン支店のアメリカ人も同行、国際線で合流することになっているのだが、早朝に彼より連絡が入る。ヒューストンからの国内線がキャンセルされたので、予定していた北京行き国際線には一緒に乗れない、という。何とか彼は夕方に出るシカゴ、ロス経由の北京便を見つけたが、もちろん到着はかなり遅れることになる。

とりあえず自分1人で北京へ向かう。順調に行けば2日目からはうまく合流できることになるが、果たして奴はホテルまで無事にたどりつけるだろうか。
といっても、北京での日程は全て奴に任せっぱなしにしていたから、どうするかなあ。そうそう、中国国内線のチケットやホテルのクーポンも北京のホテルで奴の所に届いているはずだけども、それを国籍も名前も違う自分によこせといっても、すんなり渡してくれるんだろうか。到着初日の取引先面談も、元はといえば彼の取引先にこちらが首を突っ込むだけの予定をしていたので、何も事情を知らない自分だけがノコノコ現れるのもなんだよなあ。と、思うことはいろいろあるのだが、まあ何とかなるだろう。(←実は何も心配していなかったりする)

それより、自分の浮つきというかおっちょこちょい振りが気になるなあ。
必須である中国語の辞書もオフィスに忘れてきたし、フライト中に読む予定で昨日買った「大地の子」も、なんと2巻のかわりに3巻を買ってしまった。2巻がなくて3巻が2冊もあってもしょうがないっつうの。

機内は8割程度の込みか。空席も目立つ。予約の時に全く空席がありません、といわれて料金が日に日に恐ろしく上がっていったけど、あれは一体なんだったのか、とも言いたくなるよなあ。エコノミーの往復だけで2300ドルはどうみても高い気がするけど。
中国への入国書類で検疫を書かねばならないが、「この2週間以内にSARS患者と思われる人に接触しましたか」などという質問があった。そんなの「ハイ」をつける奴がいるかっていうの。大体この検疫書類、成田空港でも中身も見ずに渡して素通りだけど、果たしてわざわざ提出する意味があるんだろうか。と、ここまでは機内で書き上げる。

長いフライトを経てようやく到着。
早速出迎えにきているはずの運転手だかガイドだかを探さねばならない。ところが、何回往復しても自分の名前を掲げた人は見当たらない。持ってきた携帯をつけると見事に通じる。そこで旅行会社に電話するが英語が全く通じない。結局30分くらい汗だくで動き回った所、ようやく自分と米人の名前を持った女の子が見つかり一安心。

ホテルまでの40分はガイド役の女の子と話す。
通訳を目指す学生で、土日は旅行会社でガイドのバイト。北京は建設ラッシュで、今年劇的に街の風景が変わりつつあるといっていたが、その通りあちこちでビルが建てられている。去年のSARSの時は2ヶ月学校も休みになって、外にも行けず大変だったようだ。なんと1日5回マスクを取り替えなければ感染の可能性がある、といわれて、みんなマスクを一杯持ち歩いてたそうな。ところが、「もうすっかりなくなったので安心」と言う。おいおい、9人が感染したってアメリカでつい先日報道されてたぞ、って言うと、そんな話は一切ない、と言い張る。こちらでは何の報道もされていないのだろうか。

ホテルにチェックインして、携帯を充電しようと思って気がついた。プラグの差込口が違う。早速1階の売店で探すが、なんだかよく分からない変圧器ばかりである。店の女の子が3人集まって、ああでもないこうでもない、と、商品の袋を空けまくって確認するが、どうやら適切なものがない。というより、売っているのは、中国のコンセントを海外に持っていく際に必要な変圧器ばかりじゃないか。
埒が空かないので、フロントへ行くと、変圧器なら部屋に届けさせる、という。当然だが、まてど暮らせどやってこなかった。なんだか分からないけど、突っ込んで見たら電気が通ったので、とりあえず充電を完了させる。大丈夫かなあ。←大丈夫訳ないだろうって。

夕方には関係先のMr.Kanにとりあえず連絡してもらいホテルまで来てもらう。といってももちろん初対面。
そのまま2階レストランで中華料理を、だが睡眠不足だったからだろうか、あまりうまくなかったな。色々な話が聞けて参考にはなったが、何かわざわざ出てきてもらって申し訳なかった。別に商売のつながりもそれほどある訳ではないのに。でも中国人のもてなしというか、そういう風土はとてもうれしいものである。請求書を取り合って、最後は彼の面子をつぶさないようにして御馳走になった。
さっさと9時前には解散。ようやく寝れる。


Kyosuke