2011年04月06日(水) |
センバツの話(3) 長田竜斗と生麦中 |
決勝で5回を無失点に抑えるなど、予想以上(!)の活躍を見せた、東海大相模の長田竜斗。
彼は横浜市立生麦中の軟式野球部出身。 当時から、「生麦中の左腕がいい!」と評判だった。ただ、長田以上に高校関係者の評価が高かったのが、横浜市立市場中の関悠平。 夏の2回戦(3回戦だったかな)で、生麦中vs市場中のビックカードがあったので観戦にいった。たしかにどちらもよかった。長田は、今のように小さいテイクバックではなく、もっと自然に投げていたような記憶があるが。
関は県内の私学からも誘われたが、結局、日大三へ。 長田は県内の公立という話もあったが、夏が終わってから、相模が熱心に誘い、東海大相模に進んだ。バッテリー2人で、入学している。 このときの生麦中は能力が高い選手が多く、長田と二枚看板だった右のエースが横浜商大へ。そして、当時、3番手の立場だった右サイドが県川崎工へ。それが、この春も注目ピッチャーのひとりに挙げられている青柳である。サイドから140キロを超えるストレートを投げる。どこで、どう伸びるか分かりませんね…。
東海大相模で、地道に、地道に練習をしていた長田。 一時、サイドスローで投げていた時期もある。何か、突破口を開こうと、必死だった。
決勝後に話を聞くと、「秋が終わってから、近藤が手術をしたのが大きかった」と、話してくれた。話してみると、「本当に決勝で投げた子?」と思うぐらい、淡々とした選手である。 「近藤がいないので、自分がピッチャー練習を引っ張らないといけない。投げられるチャンスもあると思って、取り組んでいました」 もし、近藤が万全であれば、センバツで4人ものピッチャーを使うことはなかったと思う。ある意味で、近藤の手術が、門馬監督の考えを変えたのかもしれない。 1月に取材に行った際、「今年はエースがいないから。誰が投げるか分からないよ」と話していた。もしかしたら、このときから、ピッチャーのやりくりを考えていたのかも。 面白かったのが、長田が「うちの監督は策士なので、当日になってみないと、誰が投げるかわからない」と言っていたこと。選手にも、「策士」と思われているんですね。
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