2006年05月03日(水) |
サイドスロー竹澤雄一(東海大相模vs桐蔭学園) |
■春季神奈川大会準決勝
桐蔭学園 020010000|3 東海相模 00000105/|6
保土ヶ谷球場に着いたのは1回裏、東海大相模の攻撃のときだった。スコアボードに目を向けると、東海大相模の「1」が竹澤雄一(3年)と記されていた。かなりの驚きだった。
竹澤は4日前に行われた準々決勝では、ベンチ入りメンバーから外れていた。保土ヶ谷球場で横浜高校の偵察をしていたのだ。ネット裏に制服姿でいる竹澤を見て、「夏のベンチ入りは難しいかも…」と正直思った。
竹澤を初めて見たのは、相模原市立内出中2年の春。現在、桐蔭学園3年の吉村とともに内出中の主力として活躍していた。3年夏には神奈川大会準優勝で関東大会出場。準決勝では磯部泰(修徳高校3年)ら擁する修徳学園中に勝ち、全中出場を決めた。 全中では準決勝で修徳学園中のリベンジに遭うが、1回戦、準々決勝ともに完投勝利を挙げ、全国ベスト4に輝いた。 しなやかなフォームから投げ下ろされるカーブが最大の武器だった。タテにキレイに落ち、中学生レベルでは打てないボール。ストレートはおそらく120キロ前後だったと思うが、このカーブが見事な緩急を作り出していた。
東海大相模入学後、1年秋には先発を任されることもあった。2年センバツにはベンチ入りも果たした。しかし、2年夏頃から公式戦に登板する機会が減ってきた。同期の高山、長谷川、藤田が成長し、3年センバツはベンチ入りするもマウンドに上がることはなかった。
課題は明確だった。いつしか、門馬監督は言っていた。 「竹澤はいいものは持っているんだけど、体が全然大きくならない…」 入部当時の体重は59キロ。3年春センバツでは65キロだった。 ピッチングは確かにカーブの曲がりは独特なものがある。しかし、甲子園を狙う私学に対しては、ストレートの球速が伸びなければ、苦しいのが事実だった。
センバツから戻ってきたあと、門馬監督は竹澤に告げた。 「サイドスローにしてみろ」 何かを変えなければと思っていた竹澤は、監督の言葉を受け入れた。 「サイドにすれば、出番が増えるかも。とにかく試合で投げたい」
サイドに変えてみると、オーバースローとは違った感触を得ることができた。カーブの曲がりは小さくなったが、その代わりに新球シュートを覚えた。沈みながら落ちていく独特の軌道で、左打者には厄介なボールだ。 しかし、相模の投手陣は厚い。高山、長谷川、藤田の3年生に、成長著しい2年生の菅野、即戦力新人の大城まで加わった。
4月の中ごろ、門馬監督は竹澤に痛烈な一言を放った。 「お前はすべての投手陣の中で、一番下の実力だ」 竹澤はこの一言で目覚めたという。その日から、毎日150球の投げ込みを続け、フォームを固める日々が続いた。 「フォームを作らないと、自分の高校野球は終わってしまう…」 投げ続ける竹澤の姿を見て、門馬監督はこの日の先発を決めた。 「竹澤から伝わってくるものがあった。先発を決めたのは今朝、球場に来てから。2点は失ったけど、よく投げてくれました」
桐蔭学園戦に臨んだ竹澤は、2回表に甘く入った変化球をレフトスタンドに放り込まれ2失点。3回で降板したが、ヒットはホームランの1本のみだった。 ピッチングは見違えるように変わっていた。腕の振りが速くなり、ほとんどのボールが低めに集まっていた。とくにシンカー気味に落ちていくシュートが威力を発揮し、サイドの弱点ともいえる左打者を完璧に押さえ込んでいたのが印象深い。
現在、相模の投手陣は竹澤を含めて6人。夏のベンチ入りをめぐる争いは熾烈だ。 竹澤に夏の目標を聞くと、「横浜の偵察をやってきたので、横浜戦に投げたい。横浜に勝ちたい」と迷うことなく話した。 そして、「体を大きくしたい」と言葉をつなげた。現在の体重は66キロ。センバツより、わずかに1キロ増えた。「食べても食べても大きくならない…」とずっと悩んでいる。当面の目標体重は70キロ。体さえできれば……、もっと良くなる。本人も周囲も、その想いは同じだ。
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