みのるの「野球日記」
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2006年02月04日(土) 21世紀枠・真岡工業

 21世紀枠に選ばれた栃木・真岡工業に行ってきました。

 新聞にも書いてありましたが、真岡工業がある芳賀地区は中学軟式野球が非常に盛んな地域です。益子中、芳賀中、真岡中など、全国大会や関東大会を経験したチームがチラホラと。学童野球でも、益子クラブが全国制覇を達成したことがあります。
 ですが、高校は甲子園に出場できず…、湯本実成監督は「中学で目だっていた選手が、高校は芳賀地区から外に出てしまう。甲子園常連の私立に行ってしまうんです」とちょっぴり悲しそうに話していました。

 2004年センバツに出場した作新学院にも芳賀地区出身の選手がいました。また、04年夏、05年センバツ甲子園に出場した東京・修徳高校の主軸、長島一成は益子中出身、佐藤寛己は芳賀中出身でした。このほか、レギュラー以外のベンチ入りにも芳賀地区出身者の名前が。
 真岡工業は現在、2年生が20名、1年生が9名。1年生が少ないのは、「入学予定者が私立に流れてしまった」とのこと。しかし、今回の21世枠で「いまの中学3年生、2年生はうちに入ってくれる子が多いと聞いています」と嬉しそうな湯本監督でした。

 真岡工業のエース西山紘平は、真岡中クラブのエースとして全日本少年軟式野球大会に出場しています。この大会で、個人的にもっとも印象に残ったのが西山でした。170センチに満たない小さな体を目一杯使って、ストレート、スライダーをリズムよく投げ込んでいました。今はその頃と比べると、ちょっとフォームが小さくなかったかなぁ…。ってなことを西山に伝えると、「高校2年生のときにサードをやっていたことが影響しているかも。自分も、中学のときのように大きなフォームで投げたい」と。

 ちなみに、西山は全日本の初戦でAkita中クラブに特別延長戦の末、0−1で敗戦。西山に「センバツでどことやりたい?」と聞くと、「秋田商業」と即答でした。
 秋田商のサブマリンエース佐藤洋のほか、4番浅野友人、寺門寛、工藤辰文はAkita中クラブのメンバー。それだけに、リベンジしたい想いが強いようです。
 なお、このときの全日本少年の栃木大会決勝戦は真岡中vs益子中。芳賀地区同士の対決でした。

 また真岡工業のキャッチャー小貫寛司は、中2の夏に益子中の正捕手として関東大会出場。修徳の長島一成(当時中3)とともに、主軸を務めていた選手です。

 西山も小貫も、甲子園が近い私立に誘われた選手ですが…、真岡工業を選択。学校まで、西山は自転車で10分、小貫は自転車で40分だそうです。自転車で40分って、結構遠いけど…!

 中学軟式野球が盛んな芳賀地区からセンバツに挑む真岡工業。全部員が、中学は軟式野球を経験。西山は「軟式も硬式も同じ野球。軟式でも、高校で活躍できるところを見せたい!」と言っていましたが、センバツの結果はいかに。
 ちなみに…、軟式主流の芳賀地区で、湯本監督によれば、このたびボーイズが誕生したようです。


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