みのるの「野球日記」
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2004年10月03日(日) 慶應義塾、古豪復活への第一歩(2)

◆10月2日 秋季神奈川大会準決勝
慶應義塾 000105000|6
横浜高校 012010001|5


 中林ー高橋のバッテリーに代わった6回裏。横浜に最大のチャンスが訪れた。先頭の8番下水流昴(1年)のヒット、1番黒葛原祥(2年)の四球などで2死二、三塁と一打同点のチャンス。ここで迎えるは甲子園でも活躍した3番橋本達也。
 橋本は甲子園から帰ってきて以来、不振を極めていた。秋の大会は今日まで13打数1安打。不振のため、途中で交代させられた試合もあった。この日も外角球を引っ掛けてのサードゴロと送りバント。ヒットは出ていない。
 外角のストレートがボールとなった2球目、右打者の内側にクロスしてくる左腕中林得意のストレート。橋本は完璧に捕らえ、火を噴くような弾丸ライナーをサード頭上に飛ばした。だが、この回からサードに入った長谷祐之(2年)がタイミングよくジャンプして好捕。マウンド上の中林は安堵のガッツポーズ。そして慶應ベンチも沸きに沸いた。それとは対照的に、打った橋本はグラウンドで呆然と立ち尽くしていた。
 好捕した長谷は、6回表に代走として起用されていた。試合前のシートノックは確かショートに入っていたが、レギュラーの漆畑にもヒケをとらないグラブ捌きを見せており、ちょっと目立つ存在だった。ここ一番で出たスーパープレー。代打逆転満塁ホームランを打った平川、途中からマスクをかぶりしっかりと仕事を果たした高橋、そしてこの長谷と、慶應の層の厚さも光る試合だった。

 6回途中から代わった横浜の桜田は、ヒットや四球で何度もランナーを出すものの、要所を締め何とか無得点で凌いでいった。対する慶應はあと一本が出ない状況。7回2アウト満塁、8回も2アウト満塁を逃し、追加点が取れずジリジリした展開となっていった。
 スタンドからは「このまま2点差なら、最終回、慶應は危ないぞ」という声もチラホラ。何せ昭和42年以降、11連敗中の横浜が相手。このままじゃ終らないだろう…と、思いながら試合を見つめていた。

 9回裏。横浜は1番の黒葛原から。最高の打順で、9回裏の攻撃が始まった。初球、2球目、3球目とストレートがいずれも高く抜ける。8回まで120球近く投げてきた慶應エース中林。先週の桐光学園戦も9回にピンチを招いていた。終盤、スタミナ切れを起こす傾向がある。
 4球目、これも高めに抜け、ストレートのフォアボール。ただ、ストライクと言ってもおかしくない高さだった。中林は「え?」とマウンドを2〜3歩下りてきて、不満げな表情を見せた。この試合、判定に対して、露骨に不満を見せたのはこのときが初めてだった。
「最終回が足がガクガク震えてしまって、かなり緊張していました。前回の桐光学園戦も最終回は緊張しちゃって。やっぱり強豪に勝てると思うと、何か緊張してしまう。でも今日はフォアボールを出してから、もう開き直ることができました」

 2番は新主将の相沢祐介(2年)。初球、外角に沈む難しいボールをあっさりと打ち上げ、セカンドフライ。ゴロを転がす打ち方だったが、結果はフライ。横浜らしくない攻めだった。次ぐ3番橋本。内寄りのストレートを引張り、三塁線のゴロ。またもや長谷がうまく捌き、フォースアウトを狙い二塁へ送球。が、黒葛原の足が一歩早く、野選に。
 1アウト一、二塁。ホームランが出れば、逆転サヨナラの場面で打席に入るのは4番福田永将(1年)。1年夏から横浜の正捕手を掴んだ逸材である。中林は低めに沈む球を有効に使い、カウント2−1と追い込む。が、ここから明らかに力みが見られ、3球連続でボール。フォアボールを与え、場面は1死満塁と変わった。

 ここまで来ると、スタンドは「やはり最後は横浜か」という雰囲気。この日の保土ヶ谷球場は試合が始まった頃、すでに内野席が8分ほど埋まり、5回からは外野が開放された。秋の準決勝で外野が開放されるとは…。オールドファン、OBが大勢集まった三塁側の慶應。そして、神奈川No1の人気を誇る一塁側の横浜。関東大会出場権を懸けた戦いは、最後の最後まで勝敗の分からない大熱戦となった。

 1死満塁となったところで、慶應はこの試合3度目の伝令を送った。
「エンドレス!」
 慶應野球部の部訓には『エンドレス(いつまでもやってやろうじゃないか)』という言葉がある。延長でも何でも、どこまでも野球をやってやろう! 慶應ベンチ前では、控え選手までもが円陣を組み、声を掛け合っていた。初めて見た光景だった。

 長打が出れば逆転サヨナラという場面で、打席には5番白井(1年)。1年春から試合に出ており、春の大会では保土ヶ谷球場のセンターバックスリーンにホームランを打ち込んでいる。白井は初球から積極的に仕掛けてきた。打球の角度は良かったが、ストレートにやや押され、レフトへの犠牲フライ。三塁走者が生還し、5−6と1点差に。

 1点差。2死一、二塁。打席は甲子園経験組の和泉将太(2年)。初球、真中のストレートを見逃す。この回、横浜の打者はファーストストライクを積極的に振ってきていたが、和泉だけはバットが出なかった。9回の中で一番甘い球だったかもしれない。このあと、変化球を2球見逃し、カウント1−2。4球目は内よりの沈む球を強振し、空振り。このとき、二塁走者の橋本のリードオフが大きかったのをみて、捕手高橋が二塁へ送球。が、橋本は一瞬の判断で二塁へ戻ることよりも、躊躇なく三塁へ進むことを選択した。いや、もしかして、これを狙っていたのかな…。2死一、三塁と、守る側としては非常にイヤな場面となった。

 ここまで和泉はタイミング合っていない。一か八かのダブルスチールもあるのでは…と、考えていたが、一塁走者は足の速くない福田だった。
 2−2からの5球目。外角低めへのストレートが外れ、カウント2−3。最後の勝負球にバッテリーが選択したのは、ストレートだった。見逃せばボールの低い球だったが、和泉のバットは止まらず。打球はサードへの平凡なファウルフライ。好守を見せていた長谷ががっちりと掴んだ。
 マウンドから三塁側に数歩下りてきていた中林は両手を天に突き上げガッツポーズ。その中林目掛けて、ベンチから全選手が飛び出し、喜びを爆発させた。試合後の挨拶が終ると、三塁側応援席に先頭切って走っていったのは疲労困憊のはずの中林だった。左手を突き上げながら、応援席に走っていった。

 中林はこの夏。誰よりも多くの涙を流していた。7月21日、相模原球場で行われた桐蔭学園との4回戦で先制点をもらうも、7回表に逆転を許し、1−2で惜敗。試合が終了したときから、延々泣き続け、ベンチ前でもうずくまり、しばらく起き上がれない状態だった。「3年生に申し訳ない」、絞り出すような声で中林は言った。
 
 この日、三塁側の応援席には夏で引退した3年生が大勢駆けつけていた。中林は言う。
「今日の勝ちは3年生のお陰です。ピンチになったときは3年生の顔を見ていました。『中林、がんばれ!』『この回だぞ、がんばれ!』と毎回声を掛けてくれて」
 そして中林は続ける。
「あの夏の負けがあったから、ここまで来れた。あれだけ泣いたのはムダじゃなかった。神奈川に来たときから(中林は世田谷西シニア出身)横浜と試合がしたい、横浜に勝ちたいとずっと思っていて。だから今日は本当に嬉しいです」
 猛暑の夏休み。中林は下半身をいじめ抜いた。夏から取り入れた股関節を鍛える練習メニューを黙々とこなし、スピードは夏の大会から約5キロアップ。ストレートの最速は135キロにまで到達した。その中林のグラブには、黒いサインペンで塗りつぶされた言葉が刺繍されている。『古豪復活』。慶應の関係者誰もが願う夢である。
「刺繍入れていたんですけど、高野連からグラブに刺繍を入れるのは禁止と言われて、しょうがないから黒く塗りつぶしたんですよ」
 中林は残念そうに笑う。
「今日の勝利でやっと古豪復活の第一歩。関東で勝って、甲子園に出て、そこで古豪復活って感じですかね」
 いつもより饒舌なエースは、気持ちよさそうに汗を拭いながら、次なる目標に目を向けていた。

 試合後、三塁側選手入り口の周りには、選手や学生コーチ、OBなど大勢の人々でごった返していた。そこに、取材を終えた上田監督が現れる。すると、選手から「一誠(イッセイ)、一誠、一誠!」の大コールが沸きあがった。右手を軽くあげ、それに応える上田監督。監督の名前を選手が呼び付けで連呼するなんて、強豪私学ではなかなかないこと。普通、怒られるだろう!(笑) でも、それが自然とできるのが慶應野球部らしいところ。新琴似シニアから来た高橋が「慶應には普通の高校にはない雰囲気がある」と言ったのはおそらくこの辺りのことだろう。

 ちなみに上田監督の名前は上田誠。でも、最近は誠の前に「一」が付いた名刺を配っている。「一誠は芸名だよ」というが、芸名のある監督って一体?! 昨年からクジ運の悪さが続き、「改名しようかな」と真剣に悩んでいたが、「一」を付けるところがさすがです。

 慶應にとって6年ぶりの関東大会は、10月30日から11月3日まで山梨県で開催される。

*日曜日に予定されていた決勝戦(慶應vs東海大相模)は雨天のため、7日(木曜)に順延された。


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