2003年03月23日(日) |
続・再び甲子園のマウンドへ 〜浦和学院・鈴木寛隆〜 |
センバツの2日目第1試合に浦和学院が登場。21世紀枠の隠岐を相手に、序盤から大量リードを奪い、試合を優位に進めた。 4回頃だっただろうか。ベンチ前でキャッチボールをする須永の姿を、NHKのカメラが捉えた。その後ろに、軽く投球練習を始めた背番号10が映った。浦和学院の控え投手、鈴木寛隆だ。鈴木が投げる姿を見た瞬間、思わず「あっ!」と声をあげた。投球フォームがスリークォーターではなく、オーバースローになっていたからだ。
昨夏の甲子園終了後。森監督は鈴木に対し、フォームの変更を命じた。不安定な制球を安定させるため、スリークォーター気味に腕を下げることを指示した。 鈴木は、煮え切れない思いを持っていた。 「夏の甲子園が終わってから、監督に『腕を下げて投げてみろ』と言われて、試してはいるんですが……、まだ、自分で納得できていないんです。監督は腰の使い方がサイドに向いているとは言うんですが……。自分は、前と同じように上から投げたいんです。スピードに対して、こだわりを持っているから……。今はMAX134kmなんですが、上から投げてたときは138km出てたんで。速い球、投げたいんです」
昨秋11月に行われた関東大会。準決勝の藤代戦で、鈴木は先発した今成の二番手として登板。2イニングで3点を失い、エースの須永にマウンドを譲った。 試合後、森監督の鈴木に対する言葉は辛らつだった。 「(決勝の先発は)須永しかいないでしょう。須永に疲れがあった場合は、今日投げた1年の今成かな。いずれにしろ、どちらかです。鈴木は……、ないですね。今日も調子悪かったからね。鈴木だけはないですよ」 翌日の決勝戦終了後、鈴木は甲子園への思いを静かに語った。 「甲子園……。元のフォーム、上から投げるフォームで甲子園のマウンドに立ちたいです。冬に走り込んで、身体作りをして、もっともっと速い球を投げられるようにしたい。背番号1もまだあきらめていません」
隠岐戦。8回から登板した鈴木の腕は、関東大会より明らかに上がっていた。ストレートとカーブのコンビネーションで、隠岐打線を翻弄。打者9人に対し、被安打1、奪三振3、四死球2、失点0だった。
「須永の控え」という立場は昨秋から変わっていない。鈴木は、須永の二番手投手として存在している。ふたりともストレートとカーブを武器にする左腕。でも、それぞれの球種、制球力、マウンドさばき、すべてにおいて、須永は鈴木の上を行く。同じタイプの投手がひとつのチームにふたりいてもしょうがない。鈴木にフォーム変更を命じた森監督の気持ちも分かる。
秋季大会後、鈴木自らが投球フォームへのこだわりを、監督に話したのか。それとも、監督がオーバースローへ戻すことを指示したのか。フォームを戻したいきさつは、本人に訊いてみないと分からない。でも間違いなく、秋季大会で見た鈴木より、甲子園のマウンド上では生き生きと投げていた。 「上から投げるフォームで甲子園のマウンドに立ちたい」 甲子園のマウンドを再び踏めたことの喜びが、TV画面から伝わってきた。4ヶ月前の言葉が現実となった。
※『再び甲子園のマウンドへ』は02年11月9日の日記に書いています。
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