みのるの「野球日記」
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2003年03月21日(金) 中学野球(5) 甲子園でリベンジ【2】

 中学校の部活動、つまり学校単位での中学軟式野球日本一を決める大会が全中なら、地域の選抜チームやクラブチームなどすべての中学野球チームの日本一を決める大会が全日本少年軟式野球大会である。毎年8月に横浜スタジアムで行われており、「ハマの甲子園」と呼ばれることもある。

 3年前(2000年)に開催された第17回大会で頂点に立ったのが桐蔭学園中クラブ(※クラブとつくが、メンバーは桐蔭学園中学野球部の部員。選抜チームやクラブチームが○○クラブとして出場するため、名称を統一するため中学野球部も○○クラブと呼ぶ)。
 
 当時の神奈川新聞には紙面の半分以上を割き、『桐蔭学園中クが優勝』と報じられている。このとき、準決勝決勝と2試合連続完封を果たすなど、エースであり主将としても優勝に大きく貢献したのが平野貴志。このセンバツでは、桐蔭学園高校の背番号1をつけ、甲子園のマウンドに上る。中学時代から「切れ味抜群」といわれた伝家の宝刀スライダーに加え、昨秋にはカットボールを完全にマスターし、投球の幅を広げた。176cm75kgと、投手としては小柄だが、桐蔭学園の投手らしく小気味良いピッチングで、中学時代に続く全国制覇を狙っている。
 平野は打つ方でも3番を務め、勝利に貢献した。その平野のあと、4番を打ったのが栗原健。栗原は平野と同じく桐蔭学園高校に進み、3年時には主将に就任した。センバツでは1番レフトでのスタメン出場が予想されている。栗原は全日本の初戦で、決勝の3ランホームランを放つなど、中学時代から打撃センスは秀でていた。

 優勝した桐蔭学園中クラブの決勝の相手は、岡山代表の岡山クラブ。平野の好投の前に、1−0で惜敗した岡山クラブであるが、レベルが高いといわれる岡山県の実力を存分に発揮した。岡山クラブは桐蔭学園中と違い、地域の中学校(倉敷市・岡山市・赤磐郡・総社市・玉野市・浅口郡)の選抜チームで構成されている。毎年、全日本の予選の前に、優秀な選手を集め、セレクションを実施。選び抜かれた選手が、岡山クラブの一員となる。
 岡山城東の選手としてセンバツに臨む高木省吾、岸勇太、松浦幹夫はこの岡山クラブ出身である。ショートを守る高木は、桐蔭学園中との決勝戦で1番セカンドでスタメン出場。平野の前に、2打数0安打と抑えられた。
桐蔭学園と岡山城東は、桐蔭がふたつ勝ち、城東がひとつ勝つと、3回戦で対決する。平野vs岡山クラブ出身選手の再戦が実現するか。

 センバツに出場する選手の中で、桐蔭学園中に敗れた選手がもうひとりいる。遊学館で小嶋達也の二番手投手として、活躍が期待されている大瀬亮だ。大瀬は門真クレイージーボーイズ(大阪)のファースト兼ピッチャーとして、全日本に出場。準々決勝で桐蔭学園中に5−2で敗退した。大瀬は3番ファーストでスタメン出場。平野に対し、4打数1安打という打撃内容だった。

 大瀬と同じようにベスト8で悔し涙を流したのが、徳島代表の海部中クラブ。当時のメンバーであるエース平岡政樹、ショート貝塚太一、キャッチャー東貴幸は揃って徳島商業に進学。3人ともレギュラーの座を掴み、センバツに挑む。


 センバツに出場する新2年生が挑んだ01年の第18回大会には、岡山クラブが選抜チームの強さを見せて、2年連続の全日本出場を果たした。このチームには、岡山城東の5番打者・花房圭が主軸として出場していた。
 岡山クラブは初戦でAkita中クラブ(秋田)を5−3で下すが、2回戦で明徳義塾中クラブ(高知)に6−0で完敗。前回の日記でも紹介した明徳義塾中のエース鶴川の前に、わずか2安打に押さえ込まれた。
 
 なお、鶴川擁する明徳義塾中は、決勝で二見中クラブ(三重)に3−1で敗れたものの準優勝。全日本が終わると、すぐに全中に臨み、優勝を達成。もし全日本を制覇していれば、史上初めて全日本と全中という、中学軟式野球の2大タイトルを獲得する偉業を遂げていたことになる。
 この2大会は、予選の日程が重なることや、登録等の問題で、両大会に出ることは至難のワザである。もし出られたとしても、夏の猛暑の中、連戦に次ぐ連戦をこなすのは中学生にとっては酷なもの。そんな中、両大会で決勝進出を果たした明徳義塾中は、普通では考えられない偉業といえる。

 選手ではなく監督に目を移すと、宜野座高校の奥濱監督は沖縄・東江(あがりえ)中の監督として、2度の全日本出場経験がある。そのうち1度は、準優勝を果たしている。
 そして、遊学館の山本監督も星稜中の監督として全日本に出場し、96年には全国制覇を達成している。


 中学で日本一を経験した明徳義塾の鶴川が、高校でも頂点に立つことができるか。その鶴川の前に苦杯をなめた門前と山本監督率いる遊学館が、全中の雪辱を晴らすことができるか。「打倒・遊学館」に燃える横浜・成瀬と国士舘・新垣にリベンジの舞台は訪れるか。
 第75回選抜高校野球大会は、いよいよ明日22日に開幕する。


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