2003年02月14日(金) |
恒例の・・・・・・、間違いだらけの『ホームラン』(1) |
昨年末、『野球小僧』忘年会で『ホームラン』(日本スポーツ出版社)の編集部の方とお会いした。 「日記読んでるよ。『間違いだらけのホームラン』(02年7月2日)も読んだよ(笑)。しっかり、チェック入れてるんだけどね……」 「え!? 読んだんですか……!」 思わず、絶句してしまった。 でも、怒っていはいなかった……はず(多分)。
で、今週発売された『ホームラン』センバツ総合展望号である。意外に(?)、日記で取り上げられた号に比べると、間違いが少なかった。でも、要所要所に、「間違い探してください」といわんばかりに小ネタが散りばめられていた。というわけで、間違いだらけの『ホームラン』第2弾をお届けします。購入された方は、手元に置いて、赤ペンでチェックを入れましょう!
まずは10ページ。浦学・須永らを特集した「マウンドで輝け」から。これは間違いというよりも、矛盾です。10ページに広陵・西村投手の投球時の写真とキャプションがあるのですが、キャプションには「西村はMAX136キロながら、キレのいいスライダーとスローカーブが武器……」と書かれています。でも、本文では「右上手から投げ下ろされる速球はMAX142キロ」。ん? 矛盾してませんか?
次は各代表校の主力打者一覧が掲載されている38ページ。この「各校主力打者成績一覧」がなかなか面白いのです。注意書きとして、「29打数以上」と明記されているのに、何と首位打者を意味する一番上に記されているのが、浦学の鈴木寛隆投手なのです。鈴木の打数はわずかに「6」。安打は「4」。打率にすると、「6割6分7厘」です。2位、近大付属の永松選手の「6割5厘」を6分以上引き離して、首位打者に輝いています。 でも……、おかしいですよね。『ホームラン』が定めた規定打席に達してないんですよね。わずか、6打数ですから。何で、鈴木のデータだけが残ってしまったのでしょうか。不思議です。 それと、この「主力打者成績一覧」が掲載されている場所もおかしいんですよね。同じページには「好投手」を紹介する記事が並んでいるのです。で、「好打者」を紹介した方に、「投手成績一覧」があるのです。これって、掲載場所を間違えたと思いませんか?
ついでは、42ページ。「センバツ出場校完全データ」からです。ここには代表校の部長・監督一覧が載っているのですが、横浜高校・渡辺監督の出身大学が「亜大」となってます。渡辺監督は確か、「神奈川大学」を中退されていると思うのですが……。それか、これって、あの噂されている次期監督を早くも予言しているのでしょうか……。 ちなみに、このページには、各代表校の「校訓」も掲載されています。「誠実」がやたらに目立つのですが、私が一番気に入ったのが花咲徳栄の「今日学べ」です。何か心に響きませんか? ほかの高校は「質実剛健」「文武両道」とかなんですけど、徳栄だけ、インパクトがあるんですよね。
で、間髪いれずに47ページ。横浜高校の特集記事の中に、エース成瀬や涌井ら主力5人の写真があります。「前列左から村野、西江」とあるのですが、横浜に「村野」という選手はいません。写真の選手は「村田」です!
この村田選手、目がクリクリとしていて、新2年生のせいか、まだまだあどけない表情で、なかなかかわいい顔をしているのです。ポジションはキャッチャー。新3年生の西江と正捕手争いをしています。村田は川崎北シニア出身で、シニア時代は中3夏に投手として全日本シニア準優勝の実績も持っています。当然、数多くの強豪高校から誘いを受けたのですが、村田は横浜を選びました。 本人曰く、「横浜だけがキャッチャーとして獲ってくれたんですよ。小倉さんが直接来てくださって、『キャッチャーで欲しい!』と言ってくれたんです」。じつは、村田は中2の時はキャッチャーのレギュラーとして、試合に出場していたのです。小倉コーチは、そのときの肩の強さが強烈に印象に残っていて、「キャッチャー村田」を勧誘したのです。 村田は「ピッチャーよりキャッチャーの方が好きだったんです。だから、キャッチャーとして欲しいと言われたときは、嬉しかった」。目標のキャッチャーを訊くと、プロ野球選手ではなく、もっとも身近な人をあげた。「目標は小倉コーチ。本当にすごいんですよ」。
関東大会、神宮大会では、腰痛のため、打棒が振るわず、持ち前の強肩を発揮することもできませんでした。「とにかく、早く腰を直して、センバツでは万全の体調で望みたい」。神宮大会敗戦後の村田の決意でした。『ホームラン』のメンバー予想を見ると、一旦は打撃優先のために内野へコンバートされた西江が正捕手、村田が控え捕手になっています。個人的には、甲子園で背番号「2」を着けた村田が見たいです。
話しが逸れてしまいました。 長くなりそうなので、残りは(2)へ。(2)では、昨夏の甲子園優勝監督が私とほとんど年齢が変わらないことが発覚します。
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