2002年08月01日(木) |
桐光学園全国制覇を目指し(10) 10人目の選手 |
桐光学園のサードコーチャーは毎試合、背番号17を着ける飯塚翔が務めている。長く伸ばしたもみ上げがトレードマークの3年生。そして、トレードマークはもうひとつ。長袖のアンダーシャツ。どんなに暑くても長袖。半袖は着ない。 「半袖より、長袖の方が腕を回しやすいんですよ。半袖だと、アンダーシャツの袖のあたりがひらひらして気になるんですよ」 その話を聞いた瞬間、「プロのサードコーチャー!」と思った。
5回戦の法政二戦。飯塚が大活躍を見せた。ぎりぎりのタイミングで2度、グルグルと腕を回し、ホームに生還させた。 2度とも、一塁ベンチの野呂監督に目をやると、「飯塚、ナイス判断!」と言わんばかりのジェスチャーで、コーチャーズボックスにいる飯塚に大きな拍手を送っていた。飯塚はちょっと照れたような表情で、軽くペコッと頭を下げた。 その日の試合後、野呂監督は飯塚の話になると、急に饒舌になった。 「今日の飯塚の判断は良かったね。彼には全幅の信頼を置いているから。私が『回して欲しい』『止めて欲しい』と思うことを、全てその通りにやってくれている。飯塚に会ったら、誉めといてあげてよ」 球場で次の試合を観戦していた飯塚に伝えると、「ほんとですか? 嬉しいですよ」と照れ笑いを浮かべていた。
飯塚がサードコーチャーになったのは、監督の話によれば2年の秋から。専属のコーチャーを育てるために、飯塚を配したかと思えば、そうではないらしい。「たまたま、肩を故障していて、やることがなかったから」と話す。 「最初は、ランナーへの指示の声すら出せなかった。声も小さくてね。でも、今では練習でのノックやベースランニングでも、自分からコーチャーに入って、指示を出しているんですよ。今はもう専属ですね。10人目の選手ですよ」
甲子園が決まったあと、「選手として試合に出られなくて悔しくなかった?」と訊くと、「3年の初めは悔しかったですよ。でも、今の自分にはコーチャーしかないですから。チームの役に立てればそれで良いですよ」とコーチャーへの思いを話してくれた。 背番号17。甲子園のベンチ入りは16名まで。単純に考えると、ベンチ入りを外れることになる。でも、飯塚は自信たっぷりだった。 「甲子園でも絶対、ベンチ入ります! 自信ありますから。甲子園でも思い切り腕を回したいです」 後日、発表された甲子園メンバーに、飯塚の名前は記されていた。
甲子園で、長袖のアンダーシャツを着込んだ飯塚の腕が何度回るか。サードコーチャー飯塚の笑顔が増えれば増えるほど、桐光学園の甲子園は長く続いていく。
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