2002年05月25日(土) |
東林中学 日本一への挑戦(1) |
試合終了から20分後。東林中の選手、先生が保土ヶ谷球場の選手通路から出てきた。チームを率いる佐相先生は、子供たちを待っていた父母と一言二言会話を交わした後、柱を背に疲れた表情で力なく腰を下ろした。
春季神奈川県大会2回戦。東林中はベスト4進出を懸け、城山中と対戦した。序盤、相手のエラーで1点を先制し、背番号6を着けた主戦投手も危なげないピッチング。1−0ながら、東林中の勝利は揺るぎないように見えた。 しかし5回裏、無死で出塁した一塁走者をバントで送ることができず、追加点のチャンスを逸する。直後の6回表、城山中の先頭打者がライト手前に詰まったライナーを放った。東林中のライトは、中途半端にノーバウンドで捕ることを試み、結果、打球を後逸。無死、二塁のピンチを招いてしまった。次打者には3バントを決められ、判断を迷った投手のミスによって、打者走者まで生かしてしまい、無死一、三塁のピンチ。流れが一気に城山中に傾いた。それを象徴するかのように、その後、レフト前に落ちるポテンヒットで同点。押し出しの四球で1−2と逆転された。 7回表には先頭打者の内野フライを投手、三塁手、遊撃手の3人の野手がお見合い。このミスをきっかけに、2点の追加点を許してしまう。7回裏には二塁走者が、牽制で刺され、万事休す。傾いた流れに、抵抗することはできなかった。
控え室から選手が出てくると、佐相先生は重い腰を持ち上げ、全選手を集めた。その後、約40分間、大きな大きな声が選手ひとりひとりに向けられた。敗戦のきっかけを作った選手には容赦ない声を浴びせた。耐え切れず、涙を流す選手もいた。
「奈良に行く気あるのか? こんなバッティングじゃ無理だろう! ほんとに行く気あるのかよ!」
先生の言葉から、何度か「奈良」という言葉が出てきた。今年の8月、全国中学野球大会が開催される場所だ。7月から始まる市大会、県北大会、県大会、関東大会、4大会およそ14試合を勝ち抜いて、初めて出場権を得ることができる。 東林中は8月の奈良を目指している。そして、佐相先生は全国の頂点を目指している。東林中は過去に2度、この全国大会に出場している。97年、のちに東海大相模で全国制覇を成し遂げる筑川利希也を擁し、ベスト8に進出。翌年は現在桐光学園のエースである清原尚志の活躍でベスト4に進んだ。 だが、その後は夏の全国の舞台は踏んでいない。県で優勝しても、関東大会で敗れるなど、3年間遠ざかっている。昨年はKボール全国中学生野球大会で日本一に輝いたものの、夏の全国には進めなかった。
選手への話が終わった後、「今年のチームは全国に行ったときより、打力はある。でも、外野の守備力、とくに脚力が足りない。それに、全国へ行ったチームはベンチが元気だった。気持ちの強い選手が多かった」と私に話してくれた。
この日の4失点は気持ちの強さがあれば、全て防ぐことができた失点だった。自分に自信がないから、同点に追い付かれるポテンヒットが生まれた。二死、一、二塁。3番打者の場面で、佐相先生は深めに守っていたレフトに何度も前に来るように指示を出した。6回、7回と「前へ来い!」とジェスチャーを送った。けれど、レフトはじりじりと前へ進むだけ。結果、その少しの差がポテンヒットを生んだ。 「今日は中学生には広い保土ヶ谷球場だった。中学野球の定位置で守ると、後ろがかなり大きく感じる。自分の頭を越えたらどうしよう、それが彼はずっと不安だったんだと思うよ」
「気持ちの強さが欲しい」 レフトの彼にだけでなく、佐相先生は全ての選手にその言葉を向けていた。
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