みのるの「野球日記」
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2002年05月07日(火) 甲子園のヒーロー宮地克彦

 7回表、2アウト二、三塁。日本ハムバッテリーは、前打席でホームランを打っている鈴木健を敬遠し、7番バッター宮地との勝負を選んだ。一塁ベンチ後方から、宮地に対する野次が飛んだ。「武藤!大丈夫だぞ!1割バッターだから、打てねぇって!」スコアボードに目をやると、打率1割8分8厘。投手の打率のようだった。

 鈴木健への敬遠が明らかになると、ネクストで待っている宮地のもとへ、広橋打撃コーチが近づいた。「代打かな?」と私は一瞬思ったが、そうではなさそうだ。広橋コーチの声に耳を傾け、ウンウンと宮地は何度も頷いていた。打席に向かうとき、今度は三塁ベースコーチの伊原監督が宮地のもとへ歩み寄った。またもや、何度も頷いた。
 
 武藤が投じた初球は内角ストレート。宮地は何の迷いもなく、バットを振りぬいた。打球は角度よく上がり、ライトスタンドへ吸い込まれた。宮地はほぼ全速力でダイヤモンドを回り始めた。三塁ベースを踏んだとき、前走者の鈴木健を追い抜きそうなほど。プロ通算4本目のホームラン。感慨に浸る暇もなく、ホームに戻ってきた。


 宮地は私が小学6年生のとき、甲子園で活躍した。香川・尽誠学園のエースとして、夏ベスト4進出。準決勝では大越(ダイエー)のいた仙台育英に延長戦の末、2−3で惜敗した。
 174cmと投手としては小柄な部類に入る身体を目一杯に使い、ボールを投げ込む宮地が好きだった。小学6年といえば、甲子園を見始めて数年がたった頃。夏が来るのが楽しみだった。幸い、実家が西宮にあったので、何度も甲子園に足を運ぶ機会がった。そんなとき、宮地の姿に惚れた。
 今でも甲子園で尽誠学園のユニホームを見ると、なぜか宮地を思い出す。我が家のビデオラックには、当時テレビ朝日系で放送していた『思い出甲子園』のビデオも保管されている。
 そんな宮地が、大好きな西武に入団が決まったときは、飛び上がるほど嬉しかった。

 宮地は今年でプロ入り13年目になる。ここまでの通算成績は66試合、3本塁打、打率2割2厘。ここ数年、1軍のチャンスを掴みながら、それをいかせないでいた。今年もこの試合まではそうだった。
「ぼくのスタートはここからなんです。ここからが勝負なんです。明日打たないと、また2軍に落ちてしまいかすから」
 宮地はヒーローインタビューで喜びを見せながらも、頭はすでに明日に移っていた。

 今日の日本ハム戦。相手先発は右腕の金村。7番センター、あるいは2番センターで宮地のスタメンが濃厚だ。今年こそ1軍定着へ。私の甲子園のヒーロー宮地の活躍を願う。


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