2002年03月19日(火) |
猪子登板!(法政大vs東海大レポ) |
試合中盤、ブルペンに目をやると、どこかで見たことがある顔が目に入ってきた。名前は思い出せないが、見覚えはある。雑誌かテレビ、あるいは球場で。法政大で野球をするほどだから、全国舞台で活躍した投手だろう。そう思っていた。
7回表。ブルペンで見た彼がマウンドに上がった。猪子匡史(いのこ ただふみ)。神奈川県立百合丘高校のエースとしてスカウトの注目を集めた猪子だった。 中学時代は川崎北シニアで活躍し、高校進学に際しては強豪私学から誘いがあったと聞く。だが、選んだ道は公立の百合丘。地元の高校で甲子園を目指した。 3年春、百合丘は旋風を巻き起こした。春季大会で準優勝。初めて出場した関東大会では、のちに夏の甲子園を制す日大三を下し、関東初勝利を挙げた。 夏の神奈川大会、神奈川県では50年ぶりとなる公立校の甲子園出場に期待がかかった。初戦の橋本戦で、猪子は自身最速タイとなる143kmをマーク。チームも勝ち進んだ。しかし、4回戦の横浜緑ヶ丘戦。打線が打てずに負けた。0−1の惜敗だった。
私は猪子を生で見たかった。春、夏と他のチームを追っていたので、百合丘を見る機会がなかった。 それが、まさか法政グラウンドで目にするとは思いもよらなかった。何せ、猪子の進路先も知らない。それに入学式も終えていない、大学一年生がオープン戦に出場できることも知らなかった。
7回表、「ピッチャー、猪子」とアナウンスがあったときは、思わず驚きの声を上げるほど、ビックリしてしまった。
初めて見た猪子は予想していた通りの良い投手だった。140kmを超える(おそらく超えていたと思う)ストレートと、横に鋭く曲がるスライダー。この時期に投げさせてもらえるだけの力を持っていた。 東海大に対し、7回から3イニングに登板。打者14人に対し、ヒット3本(本塁打1、二塁打1)、三振3、失点3(自責1)の投球内容だった。登板直後、先頭打者を三振、次打者をショートゴロに打ち取り、上々の立ち上がりだったが、8番常盤に右中間にホームランを打たれた。ド真ん中に投げ込んだ直球を、ものの見事に運ばれた。
スタンドには横浜ベイスターズのスカウトも見えていた。法政大・後藤、東海大・久保、鞘師のチェックであることは間違いないが、4年後、猪子が注目を浴びる選手、ドラフトの目玉となる。それだけの大きな投手になれる素質を感じた。 これから法政大の試合を見に行く機会が増えそうだ。
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