1週間前、久しぶりに古本屋に寄った。半年ぶりぐらいだろうか。吉祥寺でラーメンを食べ終え、たまたま隣に古本屋が見えた。何か特別に買いたい作品があったわけではない。吸い寄せられるように、ふらりと立ち寄った。
中学生の頃、西村京太郎が好きだった。特に理由はない。電車が好きだったわけでもない。初めて読んだミステリー小説が西村京太郎で、最初の作品で完全に引き込まれた。読んでいる間、時間を忘れ、小説の世界に没頭することができる。「この先、どうなるんだろう」という推理よりは、自分の思考の全てが小説の世界に入り込む。その時間が好きだった。
古本屋に入り、小説コーナーの前で立ち止まった。整然と並ぶ小説を前に、久しぶりに読んでみようかという気持ちが湧いてきた。誰を読むか。作品を手にとっては本棚に戻し、10分ほど迷った。そんなとき、最近聞いた言葉を思い出した。誰が言ったのかは記憶にない。「宮部みゆきって、面白いよ」。言葉につられ、宮部みゆきを手に取った。『火車』という作品だった。
中学生以来、小説を読まなくなったのは、それなりの理由があった。フィクションよりも、ノンフィクションに自分の気持ちが傾いていたからだ。フィクションはあくまでもフィクション。実際に起きたことではない。そこに感情移入はできない。自分を移し変えることもできない。一言で言えば、リアリティーに欠ける。勝手にそう思っていた。 大学に入ってから、物書きになるのなら、ノンフィクションを書きたいと思い始めた。以来、スポーツノンフィクションを読むようになり、小説からは完全に遠ざかった。
『火車』は93年「山本周五郎賞」受賞作品。巻末に書かれた書評を目にして、初めて知った。それぐらい、宮部みゆきに関する知識はなかった。 『火車』を読んでいる最中、五感の全てが『火車』の世界に入り込んだ。今まで出会ったことのない感覚だった。スポーツノンフィクションでは味わえない感覚。小説の面白さに初めて出会えた。文章技法にも驚きの連続だった。比喩の使い方、リテールの細かさ……。小説から遠ざかっていた自分を少し悔いた。
一週間前、自宅の本棚に読み終えた『火車』が並べられた。それが今、本棚に目をやると、宮部みゆきの作品が4作ある。ふらりと古本屋に立ち寄って以来、完全に宮部みゆきに、小説にはまった。本棚には宮部みゆき以外にも、伊集院静の作品が3作並んでいる。たった一週間で7作。一日一作のペースで小説を読んでいる。
「ノンフィクションの場合、自分の思い通りになかなか話を進められない。フィクションだと自分のシナリオ通りに、物事が進むでしょう。小説の方が書いてて面白いよ」 ノンフィクション、フィクションの両方の作品があるライターが、そう話をしてくれた。
昨日は、夜中の4時までかけ、宮部みゆきの『魔術はささやく』を読み終えた。明日また古本屋に行き、新たな作品を見つけに行く。小説に完全にはまった。野球小説を書いてみたい。
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