美しい日本人の物語でした。
話は淡々と進んでいくんだよね。少年時代の文四郎とおふくが川で会う。お隣さんの幼馴染みで、お互い思い合ってるのに伝えられないまま文四郎の父に嫌疑が掛けられて切腹。反逆者の息子は長屋に追い遣られ、おふくは江戸の城に奉公に行く、と。 カメラのアングルは真っ直ぐ。正面から静かに彼らを見ている様子で、流れて行く映像も何の変哲もない日々の事柄を追っていくだけで。事件が起きるまでは、田舎の季節の移り変わりを描いていっていて、良い時代の日本だよなあとしみじみ思う。
とにかく大人になった文四郎(市川染五郎)の立ち居振る舞いが美しくてね〜。これを観るために行ったと言っても過言ではない(私の中では)。他にも、所作をじっくりと観察してまいりましたがね。畳の上を歩く際に縁を踏まないとか、襖の閉め方とか、剣術の稽古の時の木刀の動きとか。 極めつけは茶道。何流かは知りはせんが気になる。 ああそういえば、染五郎の着物姿での座り方とか、踵の返し方とか(カメラの位置を意識しての振り向き方?それは指示されてたのかな?) 何よりも抜刀だよ。最後の最後で見せたあの、里村の前の机の足を切るときのあの抜刀のスピード。どれだけ映像処理されているのかは知りませんがね…(それを言っちゃお終いなんだけど、でもさすがにある程度刀に慣れていないと大変だよ、ね…?)
っていうか!初めて見たよ私は、あんな初心な染五郎なんて!(笑) いや役どころがそういう役だからそうなんだけど。でもさ、見てて恥ずかしいんだよあの男。染五郎の実年齢を考えちゃいけないと思いながらも、きっと染五郎に演者が変わったばかりのあれはもしかしたら十代なんじゃないのか?女郎屋にも行けないんだよ。ふかわが意気揚々と歩いていったのはなんつーか、役柄ばかりじゃないような気がしたりするんだけどどうよ(笑)
にしても、そのときの今田の台詞はちょっとなー。「ところで」って、物凄い話の切り替わり方なんだけど!ほんとになんだよところでって!というツッコミを入れたいくらいに唐突だったんだけど、あれはどうにもならなかったんだろうか脚本…。あまりにも突然すぎてちょいと唖然としたよ。 おふくの話題に移りたかったんだよね、それはよくわかるんだけど。何せ文四郎とおふくの恋愛が主軸だからな。そのためにわざわざ与之助は江戸に行ってたんだしな。
そういえば文四郎の友人、調子が良いが友人思いの逸平(ふかわりょう)と、いじめられっこだが頭は良い与之助(今田耕司)の役は逆だと思っておりました。少年時代を見ているとね、そう勝手に予想しちゃって。そうか逆か。しかし何故にこの二人だったんだろう…。
ああ、田中要次が出ていたんだけど、素敵にちょい役だったな。彼はいつもこんな役どころ。麿さんには気付けなかった。コンタクトの調子がちょっと悪かったんだよなあ。勿体無いことをした。蛭子もどこに出てたのか知らないしな。
海を見ると、日本海だなと思えた。そしてきっとここは東北の方だ、と思ったんだけど訛りがないから…。あっても聞き取りづらいからあれなんだけど。
そうそう、映画の半分以上が少年時代なんだよね〜染五郎どころか、木村佳乃の出番は随分最後にちょっとだけでした。しかし!綺麗だったよ木村!白い着物と日本髪に結った頭が非常にお似合いで。でもね、子供を連れて逃げてるときにあの白い着物はないと思うよ。夜の闇にすっきりと浮かび上がる白。見つかる、見つかるよそれ!確かに画的に綺麗なんだけど!せめて色の濃い内掛けを着せてあげるとかさ、そういうことをしちゃいけなかったのか。画を考えると常識は矢張り二の次か(忍でも思ったけど)。
しかし、泣けたね。報われずに思い続けた文四郎とおふく。成人したら名前は変わらないのかとずっと思っていたんだが違うのか。 きっと初恋だったんじゃないのかなー。お隣さんだしね。何事も起こらなければ夫婦になれたんじゃないかと思うと、余計に運命の悪戯が悲しいね。お互いに別の人の子が出来て、想う人とは別の人のために生きていかなければならない。あの時代には当たり前のことだから、お家のために犠牲になるわけだよ。 慎ましやかに暮らしていく人間の性根の美しさ。今は汚いからな。どうしようもないくらいな。
結論。 公開初日初回、客の年齢層は確実に高め。家族連れ多し。二十代はざっと見たところ十人いなかったんじゃないのか。
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