2005年05月01日(日) |
幽霊――別冊イプセン |
富山県は利賀村スプリング・アーツ・プログラムのひとつ、鈴木忠志演出の舞台でした。 近代ヨーロッパ演劇ですね、これは。 亡き夫と家庭の名誉を守るため懸命に働く未亡人と、帰国していた息子によって暴露されていく家族の過去の事実、そして崩壊していく家庭。という内容のものでした。
法律、宗教、倫理、社会の古い因習や道徳と戦った女性を主人公において、進められる家庭の話。というより、なんていうか、ファザコン、マザコンのダブルコンプレックスの息子に、子離れできない母親、夫に三行半を突きつける妻に、妻の愛情が離れていったことを認められない夫、といった内容? 登場人物はその四人と、未亡人に過去を語られてどうしようもなくなった牧師っていうかなんというか。
現代ならばそれほど珍しくもない家庭の事情だけれど、これが初演された当初はきっと問題視されたのではないかなあと思ったりする。古い因習なんて、現代では田舎くらいでないと余り気にしないでしょ?夫婦の離婚なんて吐いて捨てるほどあるし、夫婦としてやっていけなくなったらば仕方ないとしか思わなくなっているわけだから、こんな時代もあったよなあとちょっと懐かしい目で見てしまう。
私的には、未亡人に使われていた妻レジーネの考え方に頷けたり。病気になって帰国してきた未亡人の息子に言い寄られていたけれど、彼の病気を知って、病人の面倒を見て自分の未来を棒にふりたくはないと容赦なく切り捨てる辺りが。誰だって思うこと、愛しているわけでもない人のために自分の一生を費やしたくはないしね。この考え方が冷たいといわれればそうだけれど、これもひとつの選択肢。
牧師が未亡人の話を聞きながらメロンを食べたり、素麺のようなものを食べていたりしたのが、きっとリハでも食べてたんだろうなあと遠い眼をしてみたり。非常に美味しくなさそうな食べ方が、この話の流れに沿っているというか、満面の笑みでメロンなんて食べている場合じゃないから当たり前なんだけど。リテイク何回喰らったりしてるのかなあ。
妻の、足を開いて椅子に座っている男らしい座り方が、妻のこれからの生き方を暗示しているかのよう。夫と子供を捨てて、彼女はきっと一人で生きていくのだろう。それは捨てられた方も辛いが、捨てる方にも辛い選択なんだろうけれど。
夫の動きが面白かった。捨てられる侘しさというよりも、妻がいないと何も出来ない情けなさっぷりがね。
結論。 近代演劇の話し方や動き方ってなんであんなに独特なんだろう。それが好きなんだけどさ。
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