加藤のメモ的日記
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2017年05月04日(木) 先制攻撃の選択肢はない

1994年「朝鮮半島危機」の教訓

先制攻撃の選択肢はない

北朝鮮をめぐる緊張感が高まる中、改めて注目されているのが1994年の朝鮮半島危機です。当時クリントン政権米政権は、寧辺(ヨンビョン)の核施設の先制攻撃を検討。世界は「誇張なしに、第二次朝鮮戦争に極めて接近」(1994年に国防長官だったベリー氏の今年H28年1月の発言)した。核開発が疑われていた北朝鮮は寧辺(ヨンビョン)の核施設の先制攻撃を検討した。世界は「誇張なしに、第二次朝鮮戦争に極めて接近」(1994年に国防長官だっベリー氏の今年・H28年1月の発言)した。

核開発が疑われていた北朝鮮は1991年、韓国と「朝鮮半島の非核化に関する共同声明」を発表した。国際原子力機関(IAEA)の査察を受けた。その結果、寧辺の施設で核兵器用のプルトニウムを抽出している疑惑が浮上した。北朝鮮は査察を拒否し核不拡散条約(NPT)脱退を表明し緊張感が一気に高まった。当時のクリントン大統領が後に述べたように、米国は「戦争のリスクを冒してでも、断固として北朝鮮の核開発を拒むつもり」(同紙の回顧録『マイライフ』マイライフ)だった。巡航ミサイルやF117戦闘機で遼寧の核施設を先制攻撃する計画が検討された。

しかし米国が先制攻撃すれば、北朝鮮が韓国を攻撃することは必至です。韓国の首都ソウルは北朝鮮からわずか50キロ。当時のラック米在韓米軍司令官は、戦争になれば100万人の犠牲者が出ると予想した。その中には米兵8万人〜10万人も含まれる。米国の攻撃計画を知った、当時の韓国の金詠山大統領は、「米国戦争騒ぎのためにわが国土を使うことはできない。私は韓国兵を逸平たりとも動員しない」とレイニー駐韓米大使に強く抗議し。」攻撃すれば北朝鮮の火砲が3分以内に繰り出し、ソウルは火の海になる」からである(2009年のインタビュー)

結局、カーター元大統領が、民間人の資格で6月に訪朝し、金日成主席と会談し、戦争勃発は回避され、同年10月に米朝枠組み合意が結ばれた。韓国駐留経験がある退役米空軍将校のカール・ベーカー氏は1994年の教訓に照らして言う。「トランプ氏が理解する必要があるのは、すべての選択肢がテーブルの「上にあるわけではないということだ」()ロサンゼルス・タイムズ14日電子版)


『週刊朝日』5.7


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