加藤のメモ的日記
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病舎は塀の中の別荘だった
昭和40年代前半の刑務所は、受刑者も担当刑務官も自分らしさを存分に出していた。今の刑務所の状況からは想像もつかないほどの自由で危険でスリリングな刑務所だった。塀の外でも、人々は輝いていた。急速な経済成長の中にあっても、多くの日本人は正義の心と愛を失っていなかった。ベトナム戦争に反対し、公害問題に私利私欲抜きで立ち上がったものである。当時、大きな刑務所には、暴力団壊滅作戦で逮捕された組織のトップや、最高幹部が多数収容されていた。
関西の三つのB級刑務所、大阪、京都、神戸はいつも比較されていた。B級裁判所とは犯罪傾向が進んでいるもの、すなわち塁犯者やヤクザ組織に所属している者が収容される刑務所のことである。このB級の何を比べるかというと、刑務官の立場でいえば、どこが一番規律秩序が維持されているか、ということであり、受刑者の側からは、その裏返しで一番楽に務められるところはどこかということだった。
未決が収容されている拘置所(大阪・京都・神戸)では、刑が確定した新受刑者の間で、行きたくない刑務所と行きたくない刑務所が話題になる。移送先を決定する分類担当に行き先を頼み込む者も多かった。一字、大阪行きが人気になった。描写での快適な生活が噂になっていたのである。刑務所には病人を収容する病棟がある、それを病舎というのだが、怪我や一般の病人を収容する一般の病舎と伝染病罹患者、主に結核患者を収容する隔離病棟があった。
当時、病舎は刑務所の中の別荘といわれ、ヤクザの大物親分たちの住家になっていた。受刑者の生活の今昔、30年の歩みはどうかというと、居房にテレビが備えられたことを除いてはたいして変っていない。塀の中は時間の流れをほとんど感じさせないところなのである。出所時に書かせる感想録によると、刑務所内生活の悩みはいつの時代も同僚との人間関係が圧倒的な第1位である。
〈人間関係の煩わしさを忘れて、一日中布団を被って横になっていることができる病舎に行ければ、仮釈放なんていらない!〉満期を覚悟した受刑者たちは、涙ぐましい努力をして入院を企てた。反対に刑務官は受刑者の化病と詐病を見破ろうと24時間目を光らせていた。
『実録・死刑と懲役』坂本敏夫・元刑務官
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