加藤のメモ的日記
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| 2014年04月21日(月) |
老いた親の捨て方 �� |
自分の人生なんだから、共倒れになる前に捨てなさい
「なぜ私は親を施設に入れるという決断ができなかったのか。今となっては後悔しかありません。60歳で定年してから5年あまり、介護費用で貯金が底をついただけでなく、今後の人生を楽しむ気力まで失せてしまった。私は母のために、たった一度の自分の老後まで犠牲にしたのです」そう語るのは、88歳の母親を抱える竹井進次郎さん(仮名/65歳)だ。妻を早くなくした竹井さんは現在、一人で老母の介護に明け暮れていいる。「母にアルツハイマーの症状が出始めたのは今から5年ほど前。自慢だった料理の味がおかしくなり、食べたのに『まだご飯を食べていない』と言い出すようになりました。
一番ショックだったのは、まともにトイレに行けなくなったこと。オムツをはかせても、すぐに自分で脱いでしまう。挙げ句の果てに、排泄物までいじり始める。しっかり者だった母のその姿に、私は涙が止まりませんでした」竹井さんは電気設備技工として働き、二人の娘を育て。大学まで出させた。定年した時、貯金はさほど多く残っていなかった。それでも竹井さんは「二人の娘にも家庭があるので、カネの無心はできない」という。
あのとき捨てておけば
生活費と介護にかかる費用は、「雀の涙」程度の国民年金の他、宅配便の仕分けとコンビニ店員を掛け持ちでやっているアルバイトの収入で、何とかやりくりしている。「本来なら母は、特別養護老人ホームに入居させるべきだと思います。そうすれば介護費もかなり抑えられますからね。でも母は、また頭がはっきりしていた時、『最期を老人ホームで迎えるのは絶対に嫌だ』と頑なに言っていた。それを考えると、今更入居させることが実の子としてはどうしてもできないんです。ヘルパーさんに母を任せてパートに出てている時間だけ、精神的には休めます。ただ、そのヘルパーさんも、母の『排泄物いじり』を見て、いい顔はしなくなりました。ショートステイなんてとてもできません。
私は定年になったら、趣味の釣りをして暮らすのが夢でした。でも母がいるのでそれはもう叶わないでしょう。最近、コンビニで慣れないレジ仕事をしている時、ふと思うんです。『俺は何のために定年まで仕事を頑張ってきたんだろう』とね。いっそのこと私もボケてしまって、何もわからなくなりたいですよ……」老老介護の最大の恐怖は、竹井さんのケースのように、子が親に尽くすことで自らの人生まで犠牲にしてしまう「共倒れ」だ。
そうならないために「親子が同じ家に暮らすのが幸せというのは幻想だ、と理解する必要がある」と語るのは、ノンフィック作家の久田恵氏だ。久田氏の父親は2007年、介護老人ホームで亡くなった。92歳だった。「同居していた父の異変に気づいたのは、母が亡くなって3年ほど経ってからです。母の思い出話をしていると、『美智は死んだの?』と聞くんです。その後、自宅近くの喫茶店に感度も行くようになり、1日で支払いが数千円になることもありました。尋ねると『お前がいないから、探しに行った』と言います。
介護保険ではヘルパーさんには週に1日しか来てもらえず、私が仕事を続けるのは難しかった。母への長い介護が終わり、やっと仕事に本腰を入れられると思っていた私は、絶望的な気分になりました」その後約2年、在宅で介護を続けた久田氏は、自分自身で取材し、環境の良さを知っていた老人ホームに父を入居させた。
「父は亡くなる直前に『幸せな人生だった』と語っていたので、ホームで暮らしてもらったことは間違いではなかったと思っています。核家族化が進んだ今、親とのつきあい方を誤れば、自分の人生が台無しになる状況まで来ています。一緒に暮らすのが親の幸せという価値観を捨て、自分の生活を優先することがお互いの幸せにつながる。それが介護体験を踏まえた私の実感です」
『週刊現代』3.22
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