加藤のメモ的日記
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2013年08月13日(火) 生きるという航海 ��

アメリカを動かすパワーエリートにとって、マーケットを自由自在に動かすことは彼らの権力の誇示であり、彼らの権力を維持していくための戦略である。だから今後も彼らの「領地」と彼らが勝手に決めている、グローバル・マーケットに他のパワーがちょっかいを出そうとすれば理屈も何もないパワー勝負で鉄槌を下そうとしてくるだろう。しかしそれに怯えて誰も手も口も出さないでいると、アメリカ資本による世界市場収奪システムが本当に居座ってしまいかねない。

1980年代の日本はまさにアメリカの完全に追いつき、そして追い越そうとしていた。特に金融部門ではアメリカを凌駕していた。しかしそれゆえにアメリカの国家戦略に呑み込まれ、バブルをつくらされ、そして自らの失政によりバブルの破裂というハードランディングをやってしまい、その後遺症に悩みながらも立ち直りかけていたが、またもや1990年代後半に彼らの金融戦略の集中砲火を浴びてしまった。

その日本にさらなる金融緩和を要求してくるアメリカの狙いは自国アメリカの高株価を守るためだ。一貫してわかるのは他国への思いやりなど微塵もない、勝者だけが正しいという開拓時代のフロンティアスピリットとの残滓である。ネイティブアメリカンを隅に追いやり、大地を我がものにしてきたあの体内遺伝子の欲求が彼らを動かしている。

アメリカの現状は、銃社会の犠牲者の多発などの人権問題を抱えていながら、それを克服する法律の整備が個人の権利と言う人権に制約されて手詰まりになっている。例えば銃規制に踏み切ろうとすると「自分で自分を守る権利」を主張する銃の愛好者たちが、個人の趣味を盾に「そんな法律は人権無視だ」と政治活動を行ない法律を骨抜きにしてしまう。要するに一番進んだ経済社会でありながら「自分のことは自分で守る」という、実態は西部の開拓時代と変わらない歴史的な齟齬をきたした社会原理が「人権」と裏腹にくっついている。

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戦争に負けたからと戦争に関する歴史を避けていては、歴史という学問は成立しまい。人間の歴史はある意味で戦争の歴史であって、すべての戦争は技術を促進し結果文明を高めても来ました。それは残酷だが歴史の確かな公理です。

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戦争に正義などありはしない。あるのはその国利害関係だけで、それを正義を言いくるめるのが外交技術でありレトリックでもあって、日本がアメリカの言う正義をそのまま口うつしに正義と唱えることなど全く馬鹿げている。二国の利害が100パーセント重なることなど、いつでもどこでもあり得はしない。日本が成熟した独立国家であればある程、アメリカの利害と日本のそれが100パーセント重なることなどありえないはずです。戦争ではいつも正義が叫ばれるが、物事には裏と表があることを日本人はもっと知るべきです。新聞を読むにしてもその情報には裏があり、その裏は決してまた表ではなく、情報の裏の裏、つまり3ページ4ページ先にあると疑って物事を詮索してみることが必要です。

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正義は力であり、力のない正義は正義として通らないのは現実の世界力学だが、あまりにも非常識な力の押しつけの累積は、限界に達すると、必ず必ずすべての力が破壊の方向に集中して破裂する。力で秩序を維持しきれなくなる。「アメリカが第一次世界大戦に加わらなかったら、イギリスとフランスは帝国ドイツと和平を模索せざるを得ず、ロシアに革命は起きず、ヒトラーは生み出されずアメリカの国民は死なずに済み、ユダヤ人虐殺も、スターリンの圧政も、冷戦もなかった。アメリカの不幸は、アメリカが世界に関与したことで起きた」

保守の論客パット・ブキャナンも主張がアメリカで波紋を広げているそうだ。むろん私たちはアメリカが極端な保護主義政策をとることは好まない。物事には中庸というものがあるという、日本の、あるいはアジアのスタンダードがあることを、アメリカに伝えておきたい。


『生きるという航海』 石原慎太郎


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