加藤のメモ的日記
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| 2013年07月06日(土) |
なぜ医者は信用できないか�� |
最後の最後、なぜ医者が信用できないかわかった―末期ガンと闘った医者の告白
人は必ず一人で死んでいく。代わりになってくれる人はいない。それはどんな名医であろうと同じことだ。自らが患者になった時、彼らは何を信じて不治のガンと向き合い、そして闘ったのか。
患者になって気がついた
〈私は間もなく根治の望めない、左大脳腫瘍の手術を受けなければならない。今、私に突き付けられているのは、ガンの終末期といわれるステージ4で、生命の危機という面からすれば、何か医学的にとても幸運なことが起こるとは望めないように思われる。外科手術、多種の放射線療法、さらに他の高度治療を何度も繰り返すのだが、死の過程というものがいまだに正確に理解できないでいる〉
昨年夏、ひとりの名医がこんな言葉を遺し、世を去った。神戸市・みどり病院創設者であり理事長を務めた額田勲(ぬかたいさお・享年72)である。冒頭に引いたのは、彼が末期ガンを患ってから記した手記の一節だ。さらに額田氏はこうも記している。「私は患者に接する時も、いつも死について深く考えてきたつもりだ。だが今、自分が死に直面してみると、70年の人生で得たものはなんと乏しかったのかと思う。そして、激しい自己嫌悪に陥ってしまう。
額田氏は、ガン患者を中心とした終末医療の専門家であり、生命倫理の研究家としても知られる。診療と病院経営の傍ら、講演、著書の執筆、後進の指導に多忙な日々を送っていた。医師として、数多くの末期ガン患者の苦しみに耳を傾け、安らかに逝けるように手を尽くしてくれた額田氏。その彼にも、ガンは容赦なく牙を剥いた。
「初めは、2005年に見つかった前立腺ガンでした。ただ、この時は手術によってかなり良くなったと本人も周囲も考えていたし、転移の可能性は残されていたものの、すぐに病院の仕事にも復帰されました。しかし、それからおよそ5年が経った2011年に、脳へのガン転移、すなわち脳腫瘍が突如発覚し、余命半年という宣告を受けたのです。しかも病巣は、言葉を司る左脳だった。書きものが好きだった額田先生にとって、残酷な運命だったとしか言いようがありません。額田先生は、われわれ後輩をよく飲みに連れて行ってくれる親分肌で、社交的な人だった。しかし、脳腫瘍が見つかってからは、親しい知人でも面会謝絶。弱った自分を見せたくなかったのかもしれません」こう語るのは、額田氏の20年来の弟子であり友人でもある、医師の村田氏だ。
村田氏は、額田氏が闘病中に綴った未発表の遺稿を、一冊の本にまとめた。今夏、ごく小部数に限定して刊行する予定である。今回ここで紹介するのは、その遺構の一部だ。最後の半年間、日ごとに混濁していく意識の中で、額田氏は末期ガンの苦しみ、そして死への恐怖を赤裸々に告白している。〈私はずいぶん多くの患者さんの死に対応してきて、どちらかといえば死に慣れている部類の人間である。死と遭遇した場合にどう受け入れていくかを、ひたすら考えてきた。しかし、精神的な苦悩に対しては何と答えていいかわからない場合がいまだに圧倒的で、(中略)そして今、自分が患者としてそれらの苦悩を厳しく突き付けられる局面に遭遇して、不安、恐怖に向けてそれらしい対策をほとんど見つけることができない〉
終末期の患者に日々向き合い続け、患者からの厚い信頼を寄せられていた名医。それでも自らの死を前にすれば一人の人間にすぎない。医者としての経験やこれまで培ってきたことも、末期がん患者に対しては悲しいほど無力だった。彼の最晩年の文章からは、そんな無念が滲み出るようだ。
これが医者の限界なのか
どんな名医も、高度な医療技術も、死そのものに勝つことはできない。先が長くないと分かっている患者に、医者はいったい何ができるのか。そんな思いを抱いたきっかけとして、額田氏はかって診療したある患者のことを書いている。肺ガンの手術後、鬱などの精神的な後遺症と痛みに苦しんだ70代の男性患者は、大病院を紹介し、手術を進めた額田氏をなじり続けたという。〈その患者は、当院の外来に戻ってきたとき、無表情で暗く、こちらが話しかけても容易に反応しない。私とすれば、専門医療機関に任せるにしくはない。と機械的に紹介に踏み切った。しかし彼がその後も食欲不振などで次第に衰弱していくのを目の当たりにすると、責任を問われているような重い気分に追いやられた。「あんなに苦しい思いをしたのに……うかつに手術などするものではない」と、その時ばかりは正気に立ち戻ったかのように言い続けて亡くなっていった〉
患者の言葉に、額田氏は「医療の限界」をひしひしと感じたに違いない。彼はこのようにも記している。〈メスの技術がどんどん進歩した結果、逆にかってない大きな壁に遭遇している〉家族とさえ悩みを分かち合うことなく、医者としても壁にぶち当たり、自問自答を繰り返した額田氏。ただ、ガンを発症してからの約6年あまりのうち、最後の半年間を除くほとんどの期間は、それまでと同等以上のペースで仕事を続けていた。その点では、長い間ガンとうまく共存した患者であり、彼は決してただ病気に敗れたというわけではなかった。
「額田先生の言葉で最も印象に残っているのが、『医療で大切なのは、現場の物語である』というものです。手術の件数など、数値化された病院の評価は確かに役立ちますが、末期ガンに苦しむ患者を治せるかどうかとは関係ない。医師は検査の数値ばかりでなく『痛い』『苦しい』『不安だ』といった患者の声にもっと注意を払い、耳を傾けなければ」(村田氏)これが最後の最後という時、頼ることができるのは自分自身だけだ。治癒の見込みがない末期ガンの前では、医者ができることは限られている。額田氏は遺稿の中でそう訴えている。
『週刊現代』7.6
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