加藤のメモ的日記
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2012年09月25日(火) ポピュリズム(大衆迎合主義)の行方��

二つの改革

細川内閣の行なった「改革」の最大のものは、おそらく選挙制度改革(小選挙区制)であろう。よく「一内閣一仕事」といわれるが、吉田内閣の講和条約、鳩山一郎内閣の日ソ交渉、岸内閣の日米安否改定、池田内閣の高度成長策(所得倍増論)、佐藤内閣の沖縄返還、田中内閣では日中国交回復、中曽根内閣では国鉄などの三公社五現業の民営化(中曽根行革)と、それぞれ印象に残る。竹下内閣では消費税導入、宮沢内閣ではPKO協力法がある。

いずれも。それまで問題ありとされながら先送りされてきたものだったが、政治改革もその一つだった。小沢流にいえば、日本の政治をぬるま湯的な馴れ合い構造にした原因は選挙制度にある。現在の中選挙区制では、一つの選挙区で3〜5人の議員が当選するから、野党は候補者を一人に絞れば黙っていても各選挙区で一人は当選させることができる。かといって自民党を凌駕して第一党になるなることはないから、自民党政権は半永久的に続くことになる。

その結果、野党とくに第一頭たる社会党は政権を奪う気もなくなり、お気楽な反対政党に安住することになった。政権交代がなくなったために、自民党自身も緊張感を失い、業界との癒着、金権腐敗も生まれることになる。日本の政治からダイナミズムが失われて、政治が行政と化してしまったのだ。必要なのは、政権交代を可能にするシステムである。目指すべきは、政権党が失敗すれば野党が政権を取るイギリス風の二大政党制であろう。そのためには、一選挙区から当選者は一人しか出ない小選挙区制にすべきである。また政治に金がかかり過ぎることが金権腐敗を生むのだから、政党ごとに議員数に応じて国が政党助成金を払えばいい。それが小選挙区制導入の理屈だった。

それだけで金権腐敗がなくなるのか、つまり政党助成金だけで政治資金を実際に賄えるかどうか、クロウトの間では疑問の声も多かった。また、二大政党制になれば少数意見は反映されにくくなる、中間政党の存在の余地を残す中選挙区制の方がいいのではないか、とか、そもそも金権腐敗と選挙制度に直接の関係はない、政治改革と選挙制度改革は別物ではないか等々、反対する声も当時からあった。だが世論は、これで派閥も金権政治も改善されるのではないか、と圧倒的な期待を寄せたのである。

もともと細川氏自身は中選挙区制論者だったという。それが小選挙区制を推進する立場に変わったのは、「利益誘導や政官業の癒着など構造的な害を取り除くには政権交代が必要。そのためには選挙制度を変えなければ、という大方の合意に従ったからだという。だから歴史的評価はもう少し待たねばならないが、金権腐敗に対する国民の不満はそれだけ強かった、ということだろう。

もっとも、選挙制度を含めて民主主義の形には、「これぞ究極」という定型はありえない。常に何がしかの欠陥を抱えつつ、その都度修正していくより仕方のないものかもしれない。その意味では、この改革も一プロセスにすぎないかもしれないが、当時は特効薬のように期待を集めたものだ。もう一つ、細川内閣は本格的に行政改革つまり官僚支配の打破を目指したことも、忘れてはならないと思う。「政・官・財」三位一体といわれる中央集権・癒着体制のもとでは、政治家はしばしば「族議員」として官僚の走り使いにされてしまう。これを「政」と「官」本来の役割に戻さなければならない。つまり、民主党マニュフェストにいう「政治主導」を先取りしていたわけだ。



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