加藤のメモ的日記
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レムリア大陸と超古代帝国アスカ
彼ら謎の高度の文明人たちは、太古、地球上のある大陸からやって来た。だが、その大陸は今はない。それは遠い昔、何かの異変によって海底に沈んでしまったのだ。これがソ連のゴルボフスキーの説である。かれはこの基本的な裏付けを『失われた文明』の中でこんなふうに書いている。
「古代ギリシャ時代の書物には、大昔、インドとアフリカは知つづきだったという記述がしばしばある。古代ローマの学者プリニウス(紀元23〜79年。『自然誌』という名著を書いた)は赤道から南のインド洋に、かって大きな島があったと述べている。中世アラビアの歴史家たちも、インド洋には陸地の名残があると言っている。このことは、最近の発見でも確認されている。多くの言語学者が、南インドと東アフリカの言語の類似点を発見している。また、アフリカのそばのマダガスカル島にある26種類の植物は、ほかには東南アジアにしか生えていない。他の10種類の植物も、マダガスカルを除けば、数千キロ離れたポリネシアでしか見られない。
マダガスカルにはレムール類(原始的なキツネザル)が住んでいるが、これもマダガスカル以外にはインドで10種類みられるだけである。レムールは泳ぐことができないので、大洋を横断できたとは思えない。つまり、インド洋を隔てて生き残ったこれら共通の動植物は、明らかにかって、インド洋に大きな陸地があったことを物語っている」
この陸地がいわゆる「レムリア大陸」だった。子に大陸の上に、かって高度な文明が花開いていた。今の大学程度の学問、そして初歩的な自動車やプロペラ機やナパーム弾式の兵器さえあったことが『ラーナマーヤ』や『マハバーラタ』などのインド古代詩などの記録からもうかがえる。これらはぜんぶ異変で沈んで滅びたが、少数の住民がほかの大陸に逃れ、そこの未開人たちに知識や技術を教えた。
それがマヤやメソポタミアの高いレベルの学問になって残った。また世界各地に散らばる不可解な文明遺跡の源にもなった。ゴルボフスキーはこう言い切りたいらしい。確かにその可能性は大きいだろう。他にも沈没大陸説はいろいろあるが、たとえば古代ムー大陸の証拠文書を見つけたというチャーチワード(18世紀の英国史家)は、その文書の実物をなぜかとうとう公開しなかった。
プラトン以来、華やかな古代ロマンに彩られてきたアトランティス大陸も、「1万1000年前まで大西洋の真ん中にあった」と長い間さわがれている割には、誰もが納得できる決定的証拠がまだ見つかっていない。その意味でも、これらよりもずっと地味で名前も知られていないレムリアの方が、動植物データや古文書もそろい、より確かな実在の可能性を持っていたといえる。しかも、レムリアをさらに大きく包む裏づけとして、じつはインド洋南部のオリッサ州の奥に、「アスカ」と呼ばれる地域が、今もひっそり残っているのだ。
超古代アスカは飛行船を持っていた
私はそのインドのアスカというところへ、、1984年、魅せられたようになって単身行き、まわりに残る不思議な伝説や遺物、今のインド人主流とまるで似ていない謎の少数部族などを調べ、『幻の超古代帝国アスカ』という本を書いた。内容を要約するとこういうことだ。
いまから4万年〜1万2000年前ごろまで、地球はヴェルム氷期という、地球史から見て一番最近の氷河時代のただ中にあった。南北アメリカやヨーロッパの高地、アジア北部と中央部、日本でも東北や、北海道が氷河でおおわれ、南極と北極の氷は今の10倍も多かった。その分、海水が今よりずっと少なく、海面も今より12〜3メートル、ところによっては20メートル以上低くなっていた。そのぶん、海岸線が今より沖の方へ遠ざかり、その跡に広大な陸地が現れていた。つまり、今のアジアやヨーロッパ、アメリカや日本のまわりの大陸棚と呼ばれている浅い海の部分が全部、海沿いの広い平野だったのだ。
文明はそういう水辺の平野にひらける。これは人類学の常識である。まして、1万2000年前といえば、人間の大脳の重さは今の私たちと全く同じ、人によってはそれ以上。ここから試算してみると、そのころ文明段階にまで踏み込んでいた人口が、少なくとも3〜400万人はいた。彼らは当然、氷河地帯を避けて、暮らしやすい海岸平野の温かい地域に住みついた。そして知能を生かして漁業や農耕・牧畜を発達させ、相当高いテクノロジーを持つようになっていった。
それを記録した太古の秘典を読んだというインドの聖者に私は会った。彼が教えてくれたところでは、その太古海岸の文明はすでに石油や電気を知っていた。動力を使う鉄の巨船を持ち、布の気球や軽エンジン付きのグライダーも持ち、水銀エネルギーで飛ぶ長距離飛行戦まで持っていた。また住民の性質は穏やかで、王や女王の下に官庁、市場、大学、軍隊が整い、生活は豊かだった。そうした世界中の海岸領土全体で使える共通語もあった。その一つに幸福な楽園を意味する「アスカ」という言葉があり、これがこの超古代都市とその文明をさすシンボル的な愛称にもなってた。
異変と退廃で滅びたアスカ
ところが、そんな飛鳥の繁栄がピークを過ぎ、エネルギーの乱費で空気や食物が汚れ、疫病や犯罪や戦争が増えてきた頃、突然、氷河時代が終わった。人類のエゴに対する裁きのように、地軸が激しく揺らぎ、地球の自転角度が変わったためだった。これで太陽との位置関係が微妙にずれ、世界は急に暖かくなって、極氷や氷河がドッと溶けだした。このため海水がみるみる増え、今の温帯と熱帯の大陸棚に栄えていたアスカ文明は数10年から数100年のあいだに全部沈んだ。
地面そのものが沈んだのではないが、解氷で海水が増えて、自然に水の下になってしまったのだ。多くのアスカ人がこのため死んだが、残った少数の人々は、もっと安全な奥の陸地へ、水没しなかった地域へ逃げ込んだ。そして滅びた楽園を懐かしみ、新しく移住した地域にもアスカの名を、またはアスカを含む名前を付けるようになった。それがもともといたそこにいた未開人たちによって、アスカ文明のごく一部とともに受け継がれた。その後も人類の記憶の中に長く残った。だから今でも、アスカやアスカを含む謎の地名が、意味も出所も解明されないまま、世界中のいたる所に残っている。
インドや日本のアスカ、ソ連南部のアスカバード、メキシコのアスカボファルコ、スペインのアスコ、イギリスのアスコット、イスラエルのアゼカ、アイスランドのアスキャ、アメリカのアショカン、アトコとアラスカ。
また太古の洞窟絵画で有名なフランスのラスコーこれは、アスコよもう一度の意味である。太古からの不思議な移住民族がすむスペインのバスク。これは二度目のアスクの意味である。「アスカのそばの島」を意味するマダカスカル(マグニ・アスカ・ル)、「もうアスカはないのだ」という悲しみの意味をこめた南米のナスカ……。
地名だけではない。インドアスカ人やアラスカのエスキモー(正しくはアスキモー)のように、太古、どこかの楽園から移ってきたという伝説を持ち、共通の古い仏像のような特異な顔をした人々が、世界中のあちこちに少数ずつ残っている。しかも北フランスのブルターニュやカルナック、ほかの西大西洋や南太平洋、南インド洋に面する数十か所の海岸。そこには滅びた文明の記念碑を思わせる謎の巨石の列が、かってアラスカが栄えていた海のかなたに向かって、今も点々と立っているのだ。
『宇宙人謎の遺産』
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