加藤のメモ的日記
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| 2011年02月27日(日) |
武器で結びついた薩摩と長州 |
長州藩もそのころ、下関海峡を通過する外国船を無差別に砲撃していたのです。これも尊王攘夷ですね。外国の勢力に負けないぞということを誇示するために、無差別に砲撃していたのです。それで、外国も怒ってしまって、アメリカ、オランダ、フランス、それからイギリスなど、連合艦隊が下関に行ったのです。そして長州藩と戦闘をしましたが、長州藩が惨敗。大砲や青銅砲なども随分持っていかれてしまって、今アメリカなどに展示されたりしていますけど、そのようして長州も全く負けた。
その時に井上馨と桂小五郎が長崎に行きまして、グラバーというイギリスの商人と交渉して、「銃と大砲を購入したいんだ、頼む」といいましたのですが、そのころは長州征伐というのがありまして、幕府は長州だけには売るなと、外国商人に圧力をかけていたのです。それで、誰も長州藩の要求にこたえなかった。
桂と井上は、たまたま長崎に 来ていた小松帯刀のところに行って何とかして欲しいと。小松帯刀は快諾し、分かった、薩摩の名義を貸しましょうと。それで、どんどん輸入なさいと。二人は大喜びして、そして長州藩は外国の銃砲、それから軍艦まで輸入したのです。その、薩摩が斡旋したということを、長州藩の藩主とその息子さんがお礼状を鹿児島に送っている。
ともかく斡旋していただいてありがたいと。薩摩藩と長州藩で幕府を倒すことに全力を挙げましょう、そのような礼状が行っているのです。つまり薩摩と長州が結びついたのです。薩長同盟というと、坂本竜馬が斡旋したことになっているのですが、坂本竜馬は土佐藩の藩士ではなく、郷士です。坂本竜馬が両方を仲介して薩長同盟を結ばせたといわれていますけれど、そのようなことは史実にないのです。
一人の人間が薩摩と長州、今のアメリカとソ連のようなものですが、それを中に入って話をつけるなどありえない。いちばん最大のものは武器なのです。武器で合致してしまった。それで、この薩摩・長州藩が新鋭銃、新鋭の大砲、これを輸入して、幕府と対抗する。鳥羽伏見の戦いで幕府軍は15000人、薩摩のほうは4〜5000人なのですね。それで圧勝してしまったのです。なぜかというと武器なのです、武器の勝利なのです。
ですから、今お話ししたように、幕府が倒れた、その発端なったというのがこの生麦事件。それによって幕府というのは倒壊し明治維新が成立したのです。
『ひとり旅』
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