加藤のメモ的日記
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| 2009年11月29日(日) |
学校の成績では計れない天賦の才能 |
アメリカ合衆国総司令官ユリシーズ・グラントは、自分の母親からさえ「役立たずのグラント」と呼ばれていた。それほど間抜けで不器用な少年であったのだ。また、リー将軍が片腕として一番信頼していた副官のストンウォール・ジャクソンは、若い頃はもっぱらノロマで通っていた。ウェストポイント陸軍士官学校に入学しても頭の回転は相変わらず遅かったが、その分人並み以上に粘り強く勉学に励んだ。
宿題を出されると、中途半端で妥協せず完全にマスターするまで取り組んだ、また、知ったかぶりをするような真似もしなかった。ある友人は、当時のジャクソンについて次のように述べている。「その日の暗記問題について教官から質問されると、彼はいつも”その問題にはまだ手をつけていません。昨日と一昨日の課題をマスターするのに一生懸命だったものですから”と答えていましたよ」
こうしてジャクソンは、70名のクラスを17位で卒業した。入学時の成績はおそらく最下位のはずだから、53名の生徒を追い越したわけだ。「学校が4年生でなく8年生だったら、彼は文句なく首席で卒業しただろう」と同期の生徒は口をそろえて語っている。
慈善事業家のハワードも劣等生の典型で、学校にいた7年の間、勉強らしい勉強は何一つしなかった。発明家スチーブンソンが若い頃優れていた点といえば、砲丸投げとレスリング、それに熱心に工作に打ち込んでいたことくらいである。著名な科学者ハンフリー・ディビーにしても、他の少年に比べてさほど賢かったわけではない。「私が担任だった当時、能力の面ではそんなに秀でているとは思えなかった」とは恩師カーデューの回想だが、ディビー自身も後年「学校で怠け放題に遊んだのがかえって自分には幸いした」とまで述べている。
発明家ワットについては、早熟だったという話がまことしやかに伝えられているが、実は彼の学業のほうはパッとしなかった。だが彼は忍耐という優れた長所を持っていた、この粘り強さと、徐々に芽生えた発明の才のおかげで、ついに彼は蒸気機関を完成させるに至ったのである。
「ある少年と他の少年との差は、才能よりもむしろ活動力の優劣によって決まる」とアーノルドは指摘したが、これは大人にも当てはまる。粘り強さや活力は最初は他人から与えられたとしても、次第に本人の習慣として身についていく。
コツコツ努力する劣等性は、必ずや飽きっぽい優等生を追い抜くだろう。遅くとも着実に進む者が、競争では最後に勝つのだ。学校での順位と実人生での順位が完全に入れかわる例は多い。学生時代には実に頭の切れた学生が、後には平凡な人生に埋もれてしまう。その一方で、何一つ期待すらされなかった劣等生が、着実に努力したおかげでやがては人の上に立つようになる。不思議な現象だが、その理由を解くカギは当人の粘り強さの差にある。
筆者の少年時代、同じクラスに劣等生の見本のような男がいた。教師は交代で彼の成績を上げようと手を尽くしたが、全く効き目がない。結局教師はみなサジを投げ、その一人は彼を「途方もない大バカ者」とまで叫んだ。ところがこの劣等生は頭の回転こそ鈍かったが、愚直といえるほど固い意思力を備えていた。そして成長するにつれ、この長所が次第に芽を伸ばし始めた。
やがて彼はビジネス界入りを果たすが、、その頃にはかっての級友の大部分よりはるかに優れた人物として世間に名をとどろかせていた。その後彼は郷里の市長として立派に活躍したという。歩みののろいカメでも正しい道さえ通れば、間違った道を行く競争相手に勝つことが出来る。だから熱心に努力さえしていれば、進歩が遅くとも気に病む必要はない。
若い頃の利発さは、むしろ欠点にさえなりかねない。なんでも手際よく覚える子供は、それだけもの忘れも早いし、忍耐や努力という資質を磨き上げようともしない。ところが実際には、忍耐と努力こそが優れた人格形成に一番大切な要素である。そしてあまり出来のよくない子供のほうが、かえってこの美徳を否が応でも身につけていく。「今日の私を築き上げたのは、ひとえに自分自身の力である」とディビーは語っているが、この言葉はまさに不変の真理をいい当てているのではなかろうか。
『自助論』スマイルズ
この本は数ヶ月前、姿を消した公園のホームレスの”居住地”に残してあったものである。
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