加藤のメモ的日記
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もう数ヶ月前になるが、大阪の橋本知事が、山口県光市の母子殺人事件で21人の被告の弁護士に、懲戒請求をテレビ番組で呼びかけた。この行為に対して広島高裁は「呼びかけに合理性はなく違法性が大きいと」と指摘し、橋本知事に名誉毀損を認定し800万円の賠償を命じた。彼はすぐさま控訴した。山口市の事件は1994年に起きている。この事件の裁判を最初から見ていくと不可解な点がある。
1994年4月 事件発生 1999年12月 山口地検は死刑を求刑した。 2000年3月 山口地方裁判所は死刑の求刑に対し無期懲役の判決を下した。 2002年3月 広島高等裁判所は検察の控訴を棄却した。 2006年6月 最高裁判所は検察の上告に対し広島高裁の判決を破棄し、審理 を差し戻した。 2007年5月 広島高裁で差し戻し控訴審が始まった。この時21人の弁護士た ちが手弁当で駆けつけた。 2008年4月 広島高裁は死刑の判決を下した。21人の弁護士は控訴した。
2002年3月広島高裁は山口地裁の無期懲役に対する検察の控訴を棄却した。つまり検察の主張する死刑にはしない、ということだろう。検察は最高裁に上告した。しかし2006年6月最高裁判所は広島高裁の判決である、無期懲役を破棄し審理を再度行えと命令した。死刑にしろというわけだろう。広島高裁は死刑の判決を下した。21人の弁護士は最高裁に控訴した。
以上が今までの流れだが、広島高裁は山口地裁の無期懲役を支持し、この判決に対する検察の上告を棄却した。ところが最高裁がもう一回やれと命令したら死刑ということになった。広島高裁の無期懲役という判断は最高裁の一言でひっくり返る。広島高裁の存在価値はないにも等しい。21人の弁護士は控訴したので、判決が出るまでまた数年かかる。
この差し戻しというのも悠長な制度である。最高裁の判決が絶対ならば、最高裁がさっさと判決を下せばいいと思うのである。効率化という視点が欠けている。公務員の世界である。無期懲役という言葉も意味不明である。無期とは終わりの期限が決まっていないという意味で、あいまいである。刑務所の中で深刻に反省している素振りで、毎日お経でもあげていれば刑期が短くなるのだろうか。天皇陛下が崩御されたら恩赦で十数年ぐらいで、大手を振って出てくるかもしれない。
彼は獄中書簡で「選ばれし人間は悪さをする権利がある」とか。死刑判決を免れ無期懲役の判決が下ったとき「5年プラス仮で8年はいくよ。どっちにしても俺自身刑務所の現状に興味あるし、早く出たくもない。キタナイ外で出るときは完全究極体で出たい。じゃないと二度目の犠牲者が出るかも」と話したという。
またこの21人の弁護士は日ごろから死刑廃止を主張しているそうである。その思想に基づきこの犯人の弁護に立ったのだろう。死刑廃止を主張し運動することは自由である。しかしこの荒唐無稽の犯人の言葉「死者をよみがえらせるつもりで屍姦した」「甘えるように抱きついただけで殺意はなかった」「幼児を床に叩きつけたのもベビーベッドと間違えただけで殺意はなかった」という言葉はこの21人の弁護士がついてからの発言である。精神錯乱を装って刑を軽くする魂胆としか思えない。
彼らはこの裁判に加わることで人権派弁護士としての宣伝・売り込みをしているのだろう。人を殺しても私に頼めば刑は軽くなりますよということだ。見え透いている。今回の事件はマスコミが取り上げ、世間の注目を浴びているので宣伝効果は絶大である。弁護士稼業も大変だ。しかし、この弁護士たちには違和感を感じる人は、圧倒的多数ではないか。裁判結果が待たれる。
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