加藤のメモ的日記
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ミッドウェー海戦は第二次世界大戦の分かれ目だった。昭和17年4月に本土空爆を受けた日本は、防衛ラインの拡張と米機動部隊への決戦を目的としたミッドウェー島攻略を決定した。連合艦隊の総力を挙げて出撃し、6月5日にミッドウェー島への空爆を実施した。
しかし、策敵活動を軽視したため、反撃に出た米機動部隊の発見が遅れてしまった。そのため攻撃部隊の発進準備中にアメリカ空軍の急降下爆撃機の急襲を受けて、大損害を受けた。米軍の損害は、空母1隻沈没、航空機150機喪失程度だった。しかし日本は、赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四主力空母を失い、重巡艦一隻が沈没し、航空機約300機と多数の熟練パイロットを失った。この結果、第二次世界大戦は連合軍の反攻という新しい局面を迎えることになった。
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