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2005年08月04日(木) ■ |
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「将棋の子」 大崎善生 |
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「将棋の子」講談社文庫 大崎善生 「生きる」ということはどういうことなのだろうか。ひとつの典型がここにあった。ような気がしてならない。
将棋の奨励会の制度は残酷な制度だ。少年時代から青年まで将棋のみに打ち込んだあと、一部をのぞいて去っていかざるを得ない。
将棋の元天才少年たちはいろんな壁にぶち当たり、若くして奨励会を去っていく。彼らの後の人生はどうなるのだろうか。このルポで一番分量を割いている成田英二のように、パチンコの店員になり、借金で追われて日雇いになっていく人生もあるかもしれない。しかし成田は明るい。なぜなのだろう。
世界を転々と放浪し、ブラジルのジャングルの奥で終の住処を見つけ、ふと参加した世界将棋選手権で優勝し、そのニュースだけが伝わってくるような元奨励会会員もいた。
羽生たちの少し前を走っていたために、佐藤や森内、57年組の台風にもろにぶち当たりスランプに陥り、辞めていった米谷和典という青年もいた。彼は、いろんな職を転々としたあと自分の力量だけで不動産会社で一人前以上の仕事をする。しかし、それでも倦怠感が拭いきれない。昔の後悔が蘇ってくる。「甘えというぬるま湯。わずかに緩めてしまった自分自身の手綱。あっという間に襲いかかってきた天才軍団。停滞、苦悩、遊びという現実逃避、そして挫折。」米谷は常人には出来ない集中力で勉強をして、1年後一発で司法書士の国家試験に合格する。私にはこのエピソードと成田のエピソードが同じ土俵に思えた。『生きる』とはどういうことなのか。ここにでてくる元天才少年たちはみな将棋からかけがえのないものをもらっていた。それは駒のように小さい、しかし重い『誇り』と呼ばれているものである。 (05.07.06記入)
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