|
|
2005年04月09日(土) ■ |
|
本多勝一「事実とは何か」について(9) |
|
初めての取材、そして記事を書いたときのことを書こうと思う。
私は新聞会では最初文化部に所属した。 文化部の企画会議でのこと。大学から五分ほど離れたところにあるアパートの部室での会議である。先輩は二人。新入生は私とあともう一人ほどいたか。
先輩Оさん(♂)はは国文学二回生で、文学青年で、文章を書きたいということだけで、新聞会に入ってきていた。「透徹」という言葉があることをこの先輩から初めて教わった(後に大学講師に)。先輩Sさん(♀)は国史三回生。非常にかわいらしい人で、この女性の存在がなかったら、私がこの妖しげな部屋に入っていったかどうか心許無い。「○○くぅん」と泣きそうな感じで人の名前をよぶのが特徴的であった。もっとも最初の新歓コンパの中で、すでに彼氏がいることが判明するのではあったが。(後にその人と結婚)
S「くまくぅん、何かやりたい企画ある?」 私「別にないです。」 O「じゃあ、この前から始まった新企画「歴史発掘」をすればいい。」 私「……」 S「それがいいわ。くまくぅん、歴史好きだといっていたし。」 O「次はわが大学の60年安保をするのでよろしく。」 私「はあ。60年安保で何を取材するんですか。」 O「60年安保で、うちの大学ではどういう動きがあったか、当時の関係者から話を聞くんだよ。」 私「……」 O「大丈夫。足で書けば何とかなるって。」
まあ、だいたい企画会議というのはこんな風に強権的に決まっていくものなのであった。 しかし、大学入りたての私にいくら文化的な記事とはいえ、「60年安保」とは。
「足で書く」とはジャーナリズム用語である。今でもそうであるが、記者クラブで発表された情報をそのまま記事にする記者が多い。それに対して、真のジャーナリストは、自ら足を運び、たくさん事実を掴んで、その中からどれだけ本質に関係することを選び取って記事にするのかが「よい記事」の基準なのだと、私は一応「学習会」で学んでいたのではあった。記事は机の上で生まれるのではない。現場をどれだけ歩くか、にかかっている。
しかし、はたして60年安保とは何か、その本質も知らないような男に、「よい記事」は書けるのであろうか。
以下次号。
|
|