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2005年03月12日(土)
『ローレライ』は60点

『ローレライ』樋口真祠監督 福井春敏原作

物語の鍵を握るのは堤真一が演じる上級将校なのだが、この人の行動が私には理解不能だったため、結局私は何の感慨も起こらなかった。

その他の役者は良くがんばっていると思う。役所広司は当然として、ヒロインにしても日本語ができる外国人をよくもってこれたなあ、と騙されたし、脇役の石黒賢、ピエール瀧が案外存在感あり。妻夫木に関しては、演出が悪いのだが、あまりにも現代の若者という感じがする。

登場人物たちは何の疑問も感じず「原子爆弾」という言葉を使っているが、あの時、その言葉を正確に理解できた人間は大本営ぐらいではなかったのか。

一応潜水艦映画としての定石は守っているのではあるが、あまりにもテンポよく進みすぎるので、緊張感は削がれる。

余談ではあるが、冒頭、堤真一が「罪と罰」に言及して、「ラスコーリニコフは老婆を殺した直後から罪の意識にさいなまれ……」といっていたと思うが、私の解釈は違う。彼は物語の中一貫して殺人を犯すに至った自分の理論を捨ててはいない。だからそのあと「本当に殺したかったのは自分なんだ」と言ったとしても、それは自殺を意味しない。物語の最後、ラスコーリニコフはその理論を捨てず、同時にソーニャと愛の生活を始めると言う困難な道を選ぶのである。原作者が「罪と罰」を引き合いに出したのは間違っていると私は思う。もっといえば、ラスコーリニコフが殺人のあと、後悔したのは、老婆を殺したからではなく、弾みでもう一人、老婆の親類の娘を殺したからである。しかもその娘がソーニャに面影が似ていた。よってラスコーリニコフがソーニャを愛すると言うのは、複雑で、もしかしたらあの娘への贖罪の気持ちがあったのかもしれない。堤真一は確かにラスコーリニコフの理論をそのまま援用して行動を起こしたのではあるが、作戦に齟齬をきたしたからといってすぐ自殺するようでは、「罪と罰」を読みきったとはいえないだろう。それが、「大本営切手の秀才」だと?そういう設定自体ですでに私の気持ちはさめていた。もちろんこんな見方をする人はほとんどいないだろうなあ(^^;)