日々あんだら
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2007年11月20日(火)


(MINOLTA α-7+SONY AF35mmF1.4G+RAP、f2.8、+4.0EV)



休みのたびにいろんなところに行ってて、全然東京にいないというイメージが
すっかり定着してしまってるhideですこんばんは。

僕の中で、「旅行」と「旅」は全く違うもので、
旅行は誰かと一緒に行ったり、誰かに会いに行くもの。
旅は、一人になりに行くもの。


昔は「旅」が多かった。
夏に車で東北一周したり。GWに弘前まで桜前線を追いかけて行ったり。
下関まで車で行ったこともあった。
それは友達のところを転々としながら移動してたんだけど、
一人の時間もたっぷりあったから「旅」って気がする。

でも、大阪に引っ越した頃から、旅に出なくなった。
東京に彼女がいたこともその理由の一つだと思う。
どこかに行く時間とお金があったら東京に行きたかった。

写真とネットを通じて、全国にたくさんの友達ができたってこともある。
どこかに行くなら、まだ会ったことのない友達に会いに行きたいと思った。

ふと気付くと、もう4年以上旅に出ていない。





上にも書いたけど、26歳の夏に車で東北を一周したことがある。
全部下道で。1週間かけて。

そんなある日、僕は夕暮れ時にある地方都市にいた。
ビジネスホテルと、スーパー銭湯と、ファミレスと、パチンコ屋くらいしかない街。
そんな街の、人も車もほとんどいない夕暮れの道を車で走っていた時、
突然、今まで経験したこともないような寂しさを感じた。
寂しさ、なんて生易しいもんじゃない。「今なら死ねる」って本気で思った。

その寂しさから逃れようとして、僕はいろんな人を思い浮かべた。
今、助手席に誰が乗っててくれたら寂しくないだろう?と。

学生時代からの親友。
同じ寮に住んでしょっちゅう一緒に遊んでいた同期。
当時好きだった女の子。
家族。

でも、どんなに親しい人の顔を思い浮かべても、寂しさは消えなかった。
今、誰が隣にいても、きっと同じくらい寂しいだろうと思った。
世界中に自分しかいないかのような孤独感。

「人は誰もが孤独」「自分以外はみんな他人」。
言葉にすれば月並みで陳腐だ。
でも、その言葉の意味を体と心全体で実感したのは、その時が初めてだった。
そして、その感覚は月並みでも陳腐でもなかった。


悟り、と言ってもいいのかもしれない。
今でも上手いとは思ってないんだけど、それまでヘタクソだった人付き合いがマシになったのはそれからだ。

「自分以外はみんな他人」。
それがわかっていれば、相手が自分の理解できないことをしたとしても許せる。
自分のことを誤解されるのも当たり前だ。

「人は誰もが孤独」
だから、昨日まで友達だと思っていた人が、自分から離れて行ったって仕方がないこと。

ドライと言えばドライなんだけど、多分それまでの僕の人付き合いがウェットすぎたんだと思う。
そう悟ることで、ちょうどよくなった。というか、それでも人並みから比べたらウェットと言うか。(笑)
少なくとも他人と付き合って行く上で感じる怒りは小さくなったし、(怒ることは怒る)
誰かに嫌われたとしても、立ち直りが早くなった。(凹むことは凹む)
もちろん、誤解されないように、嫌われないように努力することは大事だけど。


それは、僕が写真を始るより少し前の話。





ふと気付くと、もう4年も旅に出ていなくて、
それに気付くと、どうしようもなく旅に出たくなった。

最近、友達が一気に増えて、もちろんそれはとても嬉しいしありがたいことで、
でも、いつの間にか彼らに依存しすぎて甘えてすぎている自分に気付いたりする。
帰りの電車の中や、夜眠る前のベッドの中や。
依存するのが悪いわけではない。甘えることが悪いわけでもない。
依存しすぎること、甘えすぎることが問題。

だからちょっと旅に出て来ようと思います。
昔みたいに1週間も行かれへんけどね。1泊2日や2泊3日でも旅は旅。

今週末に金沢。
来年1月の3連休に鹿児島。
どちらも行ったことのない場所。縁もゆかりもない場所。
そこで、体が引き裂かれそうなあの寂しさを感じることができるかどうかはわからないけど。

感じられたらいいな、と思う。





…で、鹿児島ってなにがあるんだっけ?

芋焼酎!!(下戸です)
白くま!!(冬です)
黒豚!!(共食いです)


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