日々あんだら
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先週の土曜日、個展を見た夜にしんさん(コジコジさん)宅に泊めてもらったんだけど、 朝起きてから1本のビデオを見せてもらった。
昨年の冬、ある廃校で3日間だけ行われた、スラムダンク通算1億冊記念イベントの様子。 前にもこの日記に書いたことがあるけど、その学校にある23面の黒板全部を使って、スラムダンク最終回から10日後の主要登場人物の様子が描かれました。
その話が持ち上がってから、イベントが終わって全ての黒板の画が消されるまでがまとめられているんだけど、その中に作者の井上雄彦さんが黒板にマンガを書いていく様子も収められていて、その場面に目を奪われてしまった。
教室の床に座り込んだ井上さんが紙にネームをまとめ、黒板に向かう。 白いチョークで枠線を引いてコマを割り、そこにふきだしを書く。 そして画を描いていく。
その線の引き方に迷いがない。 下書きもせず、あの書きにくいチョークでスイスイと線を引いていく。継ぎ足しや後戻りなどはなく。 そうしているうちに、初めはただの線だったものが、だんだんと僕の知っている登場人物の顔になり、体になり、影になり、背景になっていく。 ただの濃い緑色の板の上に人が生まれ、動きが生まれ、世界が生まれてくる。
まるで元々黒板にその画が隠されていたかのように。 その画を、チョークを使って発掘していっているかのように。
もう、ただその不思議に目を奪われ、息を止めて見とれてしまった。 やっていることは全然違うんだけど、その井上さんの様子を見ていて、先日間近で見る機会があった、ハービー山口さんが写真を撮っている光景をなぜか思い出した。 ハービーさんの撮り方も、迷いがなく見ていて気持ちよかった。
写真と漫画、分野は違っても通じるところはあるんだな、と。 ファインダーを覗いてから迷ってる場合じゃないな、と。 いや、もっと言うと、何を撮るのかに迷って、被写体を見つけてからも迷ってるもんなぁ。(笑)
もちろんいろいろ考えるのは不可欠なことだし、一流の人たちにも僕にはわからない悩みや迷いがあって、それと戦いながら乗り越えながらやってるんだろうけど、少なくとも言える事は、彼らは自分が何をすべきかどうすべきかをはっきりとわかってて、しかもそれが揺らいでいない。 少なくとも「写真を撮る」「漫画を描く」段階になって迷いを表に見せるようなことはしない。
そう考えるとこれは芸術の分野だけの話ではなくて、例えば会社の上司や先輩でも仕事ができる人は自分がすべきことに対して揺らぎがないし、きっとスポーツ選手にしても料理人にしても一流の人というものはきっとそうなんだと思う。 自分の根っこがしっかりしている、とでも言ったらいいのか。。
そんなことを思いながらそのビデオを見てました。 ああなれると思えるほど自惚れ屋ではないけれど、いつかああなりたいと思って頑張ることはできる。 そういう背中が遥か彼方にでもあるのはいいことだ。
PS.しんさん、やっぱスラムダンクは全巻読まないとダメです。(笑)
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