日々あんだら
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僕が今まで生きてきた中で、一番痛かったことの話である。
高校1年の秋、雨の降る夜。 僕は部活も終わり、間もなく出てしまう船(当時僕は船通学だった)に向かって、 傘を差しながらものすごいスピードで自転車を走らせていた。 船が出るまであと15分。急げば十分間に合う距離だ。 別にその船が最終便ではなかったが、それを逃せば次の船は1時間35分後だった。
自転車で道路の左側の歩道を突っ走っていた時、駐車場から白い車が1台出て来るのが見えた。 そこで駐車場の手前で一旦停まる。その白い車も駐車場から歩道に出る境目のところで一旦停止した。
運転手と目が合う。
道を譲ってくれるみたいだ。
そう思って自転車を漕ぎ出したのと、車の運転手がアクセルを踏んだのは、恐らく同時だったろう。
よく「交通事故の瞬間は時間の流れをゆっくりに感じる」と言われるが、その時は正にそれだった。 左側の駐車場から出てきた車が僕にぶつかるまで、距離にして1〜2m、時間にすると1秒もなかったと思う。 しかし僕の感覚ではそれは5秒くらいに感じられた。 車が僕の左足に向かってスローモーションで突っ込んでくるのを足を上げてかわそうとしたが、 自分の動きもスローモーションで間に合わない。 車のどの部分が僕のどの部分に当たったのかまではっきり見えた。
僕は左側の歩道から、片側1車線の道路の反対車線まで吹っ飛ばされた。 咄嗟に頭だけは打たないように首をすくめて肩から落ちる。 反対車線に車が来ていたら死んでいたかもしれないが、 なにも来ていないのは吹っ飛ばされながらも確認していた。
自転車とともに地面に叩きつけられる。 とりあえず頭は打っていないこと、両手両足が動くことを確認したが、 車が直接ぶつかった部分が鈍くうずき、そのまま立ち上がらずに横になっていた。
車の運転手が車から飛び降りて来る。 「大丈夫ですか?」の言葉に「はい」とうなづく。 「ここにいると危ないから」と言われて、自力で立ち上がって歩道まで歩いた。 自転車は運転手が運んでくれた。
そのまま僕は人生初の救急車に乗せられ、高校のすぐそばの病院に運ばれた。 診察の結果は「左足緋骨骨折」。 下脚部(って言うのか?)に2本ある骨のうち、外側の細い骨が膝とくるぶしのちょうど真ん中あたりで 綺麗に折れてずれていたのである。
…が、これが「一番痛かった話」ではない。
翌日、腫れが引くのを待って手術が行われた。 ずれている骨を元の位置に戻し、それが完全にくっつくまでまたずれないように、 骨の真ん中の空洞にひざ下からくるぶしまで針金を通し、その上からギプスでぐるぐる巻きにされたのだった。
その日の夜は、麻酔が引いてくるにしたがって痛みがどんどん大きくなり、 痛みに対してこらえ性の無い僕は一晩中眠ることができなかった。
…が、まだこの話も「一番痛かった話」ではない。
3ヵ月後。 骨は順調に回復し、ギプスも外れ、苦しい(ことはなかったけど。ホントは)リハビリも終えて、 骨の中に通した針金を抜く日がやってきた。
3ヶ月ぶりに手術室に通され、ベッドに横になる。 事故後の手術では下半身麻酔だったが、今回は針金の先をひっぱり出すために切る部分に局部麻酔するだけである。
左ひざの下の外側に何回か注射を打ち、感覚がなくなったのを確認してからメスを入れる。 皮膚のすぐ下まで針金が来ているので、すでに針金の先は外に出ているはずである。 (当然自分では見ていない。怖いし)
その先を先生がペンチみたいなのでつかんで引っ張った。
「…ぐっがっがっ。。。」
その時の痛みをなんて表現すればいいだろう。 膝下からくるぶしまで通された針金は、ずれないように先を少し曲げていたのだが、 その曲げられた針金の先が骨の内側を削りながら引っ張り出されて来たのである。
辛うじて叫び声を上げるのは我慢したのだが、僕は唇を噛みながらうめいた。 さすがに16歳にもなって痛みで泣くのは恥ずかしいと思ったのだ。
こんな痛みは今まで経験したことがない。 そう思ったのだが、まだまだ甘かった。
曲げられた針金の先が骨折の部分を通過する。
…と、それが引っかかったのが僕にもわかった。先生の動きが止まる。
「段差に引っかかったな」
声が聞こえる。 どうやら骨が折れてずれた部分が、少し段差になってくっついていて、そこに針金の先が引っかかったらしい。
一回戻して針金の角度を変えてやり直すのか。
痛みに耐えながら僕はそう思った。
しかし…
「ふんっ!!」
「ぐわあぁぁっっ!!」
ありえないことにその医者は、掛け声とともに針金を一気に引っ張ったのである。 (あ、呼び方が「先生」じゃなくなってる。笑) 針金が骨の中を削りながら、一気に体の外まで出てきたのである。 今度こそ叫び声をあげてしまった。涙も出ていたかもしれない。
はっきり言って、交通事故にあった時よりこの時の方が痛かった。 今度事故にあっても、この病院だけは拒否してやる、と思いながら僕は病院を後にしたのだった。
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