最近、あの迷惑な黄緑色のカメムシ軍団を見なくなった。斎藤知事のパワハラ発覚や、元維新国会議員の不同意性交などさまざまな不祥事が頻発していて、大阪では維新候補が連敗中である。もはや「維新候補」であることがマイナスにしか働かなくなった今、名物というか迷惑なあの通勤時の駅立ちも減った、あるいは消えたということなんだろうか。
維新議員がどうして「駅立ち」をするかというと、あれは党内への「やってる感」のアピールである。辻立ち自体にはたいした宣伝効果はない。そもそも朝は忙しいのでゆっくり聴いている余裕もないし、どうせ頭の中空っぽの維新議員は「身を切る改革」「既得権益打破」しか言わない。質問してもろくな答えが返ってこないことは実証済みである。オレは何度か辻立ちしてる維新議員に質問してみたことがあるが。どうしてこんなアホが議員をしてるのかというレベルだった。
維新というのは体育会的封建的組織なので、上意下達、上の者には絶対服従である。上の者が「カラスは白」と言うと黒いカラスも白くなる。正しい批判をすると足立議員のように党員資格停止処分を喰らうのである。
そういう脳筋組織では「毎日の駅立ち」というのは極めてポイントが高いのである。つまりあの行為は単なる党内へのアピールでしかないのだ。そして駅立ちしない議員は「頑張ってない」と判断されて次の選挙で公認をもらえなかったりするのである。実にわかりやすい構図である。
維新は政党の形をとっただけのFCシステムであり、構成員の価値観はむしろ反社に近い。上納金を払わないと除名されるが、不祥事くらいでは除名にされることは滅多にないのである。「維新スピリッツ」というのは基本的に「図太さ」「厚顔無恥」という行動に集約される。「悪いことでも堂々とやれ!」と教えられてるのかも知れない。
維新大阪府議団の団長だった笹川理は美人市議にセクハラ行為があったということで除名されたが、最初に報告を受けた松井一郎は「お咎めなし」だった。松井一郎にしてみればセクハラくらい誰でもしているという感覚だったのだろう.週刊誌で騒ぎになったからあわてて除名しただけで、笹川議員はその後も維新復帰を前提とした活動をしている。辞職なんかもちろんしていない。
維新堺市議には過去に電車内ので痴漢行為で逮捕された人もいる。そもそも痴漢するような人間が議員としてふさわしいだろうか。堺市議会で共産党が「痴漢対策強化」という陳情書を出したときに、維新議員だけが全員その採択に反対した。オレは「つまり維新は党として痴漢を擁護する政党なんだな」と受け取ったのである。住民よりも身内の痴漢の方を大切にするのが維新議員であり、きわめてその発想は反社に近い。
維新議員が党本部に出す誓約書には、党から除名されたら議員辞職すると書いてある。ところがこの誓約書を守ってる維新議員は一人も居ないし、そのことを幹部の吉村や馬場はは問題にしない。誰も守らない誓約書に何の意味があるだろうか。まあその程度の組織なのである。
ちなみに除名されても議員を続ける理由は、維新議員にはもともと明確な政治への志があるわけではなく、稼業として議員をしているからである。住民のために奉仕したいとかいう気持ちは全くない。以前に国会をサボってデートしていて維新を除名になった上西小百合元議員は「夫が失業したから」という理由で維新から出馬を目指そうとする女性候補が多いと語っていた。維新議員になるのはただの失業対策であり、経歴ロンダリングなのだ。だからカスみたいな、いやカスそのものの議員が多いのである。
上納金を払わないと除名される一方で、党の方針に逆らうとどうなるのか。維新の山下知事が推進するメガソーラーに反対していた維新の奈良県議が踏切事故で亡くなった。遺書もなかったのに奈良県警は自殺と決めつけ、その後の捜査をしなかった。オレはそこに恐ろしい闇を感じるのである。粛清されたという気がしてならないのだ。
反社以上におそろしい政党FCシステムである維新の会、おそらくオレのこの記事に対しても「誹謗中傷だ」と怒り狂ってスラップ訴訟を仕掛けてくることが予想される。もしもそのようなことになればオレは敢然と立ち向かうつもりでいる。オレの側には「正義」がある。Xでオレをフォローしてくれている1万以上の仲間が居る。オレはスラップ訴訟を受けて立つつもりだ。「来るなら来やがれ!」である。裁判になれば多くの人の前で維新がどれだけ大阪の教育を破壊し、利権のために大阪をめちゃめちゃにしてきたかを語ることができるだろう。オレに喧嘩を売れば、維新そのものが消えてなくなるとわからせてやりたいのである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記