2024年05月07日(火) |
デモには意味がないのか? |
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アメリカでは多くの大学で学生たちがデモを起こしている。イスラエル軍がガザ地区で行ってる無差別虐殺に反対するという意志を行動で示してるのだ。オレはその学生たちの行動を立派だと思う。それに対して大学当局が学生を検挙し、処分しようとしていることには反対である。彼らの訴えにきちんと耳を傾け、対話することこそが必要なのではないか。学生たちの主張ははっきりしている。「殺すな」である。その訴えは正当であり、イスラエル軍の虐殺行為を止められない国々こそが間違ってるのである。
かつて日本では学生によるデモが盛んだった。中には武装して大学に立てこもる過激な学生もいたが、世間の彼らに対する印象はむしろ好意的だったと思う。日本には百姓一揆などの伝統もある。弱い民衆が団結してお上に訴えを起こすという行為は民主主義のひとつのあり方だとオレは思っている。
自民党の裏金政治に対して民衆の怒りが爆発して、国会議事堂前に100万人の群衆が詰めかけ、東京の交通が大混乱するというようなことが起きた時、内閣総辞職を叫んで人々が議事堂周辺を埋め尽くしたとしたらそれを機動隊が強制排除することは正しいのだろうか。
今の日本でデモによって政治を変えることはできないだろう。しかしその主張を伝えることはできる。残念ながら大阪ではカジノ反対の多くのデモが行われているがその事実は全く報道されない。つまりメディアが機能していない大阪のような維新独裁帝国では、多くの事実が隠蔽されていて住民は真実を知ることができないのである。TVでは吉本芸人を使った維新ヨイショ番組が連日のように流され、JR大阪駅の構内では吉村総統閣下のサイネージ広告がずらりと並び、ハイヒール・モモコが「吉村さんに総理大臣になって欲しい」と語るそんなディストピアではデモをすることは空しい。それでもオレはカジノ反対、万博反対のデモが自分の参加可能な時間なら駆けつけることにしている。大阪の住民はそうしたデモがあることすら知らないのである。
弱い民衆は団結して大きな力になるしかない。自民党の裏金政治を許さない、維新のオトモダチ利権行政を許さないという意志を民衆は示さないといけないのである。
デモにはきちんと意味がある。オレはそれを訴えたい。そうしてデモ行進する人を応援したい。カジノ反対、ガザ地区での虐殺反対、万博中止、能登半島支援といった明確な主張を表現できる場がデモである。
選挙権を持たない人もデモには参加できる。高校生や中学生が自分たちの意志を示すこともできる。デモや署名という手段で、「こんな間違ったことがあります。正そうと思いませんか?」と主張することは、為政者達への「黙っておまえらの悪を見過ごすわけじゃないんだ」という意思表示である。
大阪ではカジノの是非を問う住民投票を求める署名が20万票以上集まったが、維新議員が多数派を占める独裁議会はその訴えを無視し、議会で罵声を浴びせた。住民に向かって罵声で追い返すのがヤクザ、いや維新議員たちである。そうしたことが起きていたことを多くの大阪の住民は知らない。だからオレは訴えるのだ。今の大阪はとんでもない状況になってるんだと。もっと危機感を持ってこの反社政党に「NO!」を突きつけないとダメなんだと言うことを。
日本の若者もアメリカの大学生と同じように「イスラエルの虐殺行為」に対して抗議して欲しい。そうしてちゃんと主張することが大切なのだ。無関心でいることは、自分たちの未来を奪う行為である。
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