2024年02月25日(日) |
書評『未来地図』(小手鞠るい)〜ヤングケアラーについて |
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いきなり「ヤングケアラーについて」と書いてしまうとネタバレになってしまうからそういう題名の付け方はよくないとは思ったが、オレのこの記事を読んでいる人なんてほんのわずかだし、大多数の読者は他のルートからこの本にたどり着くのだから別にかまわないかということでこういう題にした。
介護の必要な高齢者や障害者が家族にいることは人生にどんな影響を与えることとなるのか。障害を持つ兄弟姉妹がいることで、そのお世話をすることが自分の家族の中での役割だと認識することはどういうことか。少なくとも人生の自由度も、そして自由になる時間も制約されることは間違いない。
もちろん人を縛るものはそれだけではなくて、貧富の差もあれば持って生まれた能力や素質の違いもある。人が誰しも思いどおりの生き方ができているわけでもない。むしろ望まない人生を手に入れることの方が多い。ただ、読み終えてすぐにオレがこの記事を書こうと思ったのは、それだけこの作品から大きなインパクトを受けたからである。長く「国語教員」という職業に就いている私の心の琴線に触れる部分があったからだととりあえずは書いておこう、
オレが人生で出会った二人の恩師が、今のオレのこの職業につながってることは間違いない。一人は中学の時の恩師で、足が少し不自由だった社会の先生で、年賀状を今でもやりとりしているし、ご自身が出版された詩集をいつもオレに送って下さった。障害児学級の担任として多くの生徒達のお世話をされたことも本にされている。オレとは比べものにならない立派な先生である。
もう一人は高校の時の恩師で、もう30年以上前にお亡くなりになったのだが、オレに「教師になるなら国語にしろ」と言って下さった方である。オレが勉強なんか全然していない不真面目な高校生だった頃に、学ぶきっかけを与えて下さった先生である。もしも高校の時にこの方に出会っていなかったら、今の自分はここにいない。どんな情けない人間になっていたかわからない。
自分は出会いに恵まれた結果「未来地図」を手に入れた。そしてもしかしたらこれまでに誰かに「未来地図」を描くきっかけを与えてこられたのかも知れない。さまざまなものに押しつぶされそうになって「未来」のことなど思い描けなくなってる人を、なんとかしてその境遇から救い出したい。でもそのためには。「社会」を、「世の中」を、変えるしかない。オレは最近になってやっとそのことに気付いた。人を不幸にする悪魔は、実は社会構造の中に存在しているのである。格差社会がそれを再生産しているのだ。
あなたが苦しいのはあなたのせいじゃない。あなたの苦しみに誰かが気付いてくれれば、誰かがそれをちゃんと受け止めてくれれば、未来への地図は必ず開ける。誰かがそれを伝えないといけない。社会にそんな仕組みが存在しないといけない。オレが人生の最後にしないといけない役割はいったい何だろう。そんなことをオレは読み終えて感じていたのである。
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