2024年02月17日(土) |
大阪メトロの悲劇 |
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「大阪市営地下鉄」は民営化されて「大阪メトロ」となった。市民にとってそれは果たして良いことだったのだろうか。「市営」だった頃は黒字分はすべてが市民のものになったわけだが、民営化すればそれは株主の利益となる。もちろん大阪市は大株主だが、メトロの役員などは市営の頃よりもはるかに高額の役員報酬を受け取るようになった。市民の財産が単なる利権になってしまったのである。
メトロの駅構内には簡素な売店があった。橋下徹は大阪市長になったときにこの売店を「既得権益だ」と批判し、入札制にして大手コンビニに入れ替えた。コンビニはメトロに家賃を支払うわけで、その金額を「増収だ」と橋下は自慢したが、今そのコンビニは次々と撤退している。赤字になるならコンビニが撤退するのは自明である。必要最小限の「売店」でよかったものをコンビニという形態にして、そこから家賃を取ろうというせこい発想が結果的に失敗に終わったのである。
結局橋下のやったことは利用者にとって不利益につながったわけである。この橋下徹という一人のゲスな人間の思いつきでどれだけ多くの人が不幸になったことだろうか。橋下のせいで今日本中でバスの運転士不足が起きている。その発端は大阪市バスの運転士の給料が高すぎると橋下が発言し、実際に引き下げられたことである。「あいつらの給料は高すぎる」と橋下は公務員の給料を引き下げ、バス運転士の給料を下げ、それによってゲスな市民の支持を得て選挙で勝ってきた。彼がやったことはヒトラーがユダヤ人を攻撃してナチスへの投票を呼びかけたことと結局は同じである。そして大阪の住民はまだその愚かさに気付かずに維新の会に投票を続けているのである。
大阪メトロは維新の会にとって「財布」のように都合良く利用されている。たとえばコロナ前に維新は民泊事業に手を出そうとしてホテル一棟を取得したが、結局安値で手放している。それで儲かったのは不動産業者だけである。
民営化してメトロの何が変わったのか。大阪市営だった頃はメトロは「利用者(市民)にとって何が一番よいか」という価値観で運営されている組織だった。もちろんそれは「親方日の丸」と批判される公務員の体質だったのかも知れないが、無駄なものをすべて切り捨てるという極端なものではなかった。
今の大阪メトロは「利益追求第一」の組織となった。たとえば改札口の自動改札レーンの一部がラッシュ時でも閉鎖されたままである。それが「経費節減」につながるらしいのだが、利用者にとっては不便そのものである。
もうすっかり暗くなってるのに御堂筋線の新金岡駅で入り口の照明が完全に消えていたことがあった。スイッチの入れ忘れなのか、あるいは自動点灯のタイミングを間違ってるのか、もしかしてこれが「節電」だったらそれこそ「アホか!」と言いたくなる。
公共交通機関は利益追求の組織であってはならないとオレは思っている。赤字であっても守られなければならないものである。大阪メトロは民営化してただの金儲けの組織となってしまった。これは市民にとっての悲劇でしかない。
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