2024年01月24日(水) |
映画『パーフェクトデイズ』は完璧だ |
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オレは映画館で役所広司主演の『パーフェクトデイズ』を観た。何も語らず、黙々とトイレ清掃の仕事を丁寧に行う主人公、平山の日常を淡々と描く作品である。決まった時間に起きて、朝のルーティーンを毎日同じようにこなして出勤し、そして東京都内の公園のおしゃれなデザインのトイレを回っては完璧な手順で清掃していく。こんな細かいところまできれいにするんだと驚嘆してしまう。日本中でそうしたプロの清掃人が働いているのだろう。そのおかげで我々は日々きれいな公衆トイレを利用できるのである。
この映画の監督であるヴィム・ヴェンダースさんの映画に最初に出会ったのは『ベルリン天使の詩』である。オレはその作品に深く影響されて後にドイツを旅してベルリンを訪問することとなった。オレの人生に深く影響を与えた一人である。その作品を鑑賞することはオレにとって自己の原点を見つめることでもある。
オレはなんのために働いているのだろう。オレの人生は何なのだろう。世の中の人の中には変化のない日常の中でそんな疑問を抱いてる人は多いのかも知れない。世の中には無駄な仕事などなく、どんな仕事であってもそれは世の中から必要とされていて職業には貴賤なしのはずだが、特定の仕事を見下した発言をする馬鹿はいつの世の中にもいる。大阪市バス運転士の給料は高すぎるとほざいて、その結果としてバス運転士の給与水準の大幅低下を招き、待遇悪化は事故の増加につながり多くの人命が失われ、そして今運転士不足で日本中のバス会社が困ってるのに何の責任もとらない橋下徹というクソ野郎のことを我々は決して忘れてはならない。上に立つものがあんなクソ野郎ならば、民に待ってるものは悲劇しかないのである。その橋下徹を神のように崇めているどこかのカルト政党もまた存在そのものが悪である。
日本は今や「人口減少社会」となってしまった。その中で不足する労働人口をどうやって補えばいいのだろうか。移民を受け入れ、他人種共生社会を目指せばいいとオレは思っている。難民キャンプに生まれた人、戦争の中に生まれた人たちが平和で文化的な暮らしを望んだときにどんどん受け入れることができるフトコロの深い国であって欲しいとオレは思うのだ。平和憲法を持ち、国民のモラルが高く、教育や文化の水準が高くて食べ物がおいしい、そんな夢のような国だからこそそこで生きてゆきたいという人をどんどん受け入れる国であって欲しいのである。軍事力を誇示して「強い国」という虚勢を張るのではなく、豊かな経済と賢い国民、高い教育水準と文化が自慢であるという「強い国」を目指してもらいたいし、嘘と欺瞞の政治を終わらせたいのである。与党議員なら犯罪をしても許されるという国はまっぴらごめんである。
さまざまな肌の色や髪の色、瞳の色という子どもたちが一緒に学校で学び、他者に寛容で穏やかな価値観を身につけ、正義を愛し悪徳を憎む、そんな未来をオレは願っているのである。日本という国が未来に存続する方法はそれしかない。アメリカとの軍事同盟などとっとと廃棄して、どの国とも等距離で仲良くするという外交戦略をとってもらいたいのである。
『パーフェクトデイズ』を観終えた後に感じた「いい作品だった」という素直な感動は、おそらく言葉の壁を越えて共有されるものであるとオレは思っている。この世界は美しいのである。木漏れ日が作る一瞬のきらめきは一つとして同じものがないように、この世に全く同じ人はいない。一人一人がかけがえのない生を持ち、尊重される存在である。その一人一人を大切にする、そんな政治がいつか実現することをオレは願っている。国民を搾取の対象としか考えてない自民党や公明党、維新の議員が全員追放されて、日本が真の民主主義を取り戻せる日をオレは待ち望んでいる。「共産党が政権を取れば中国のような共産主義になる」と宣伝しまくってるネトウヨや、それに感化される馬鹿が世間には多いが、今の共産党が目指してるのは議会制民主主義が正しく機能することだけである。「共産党は暴力革命を目指してる」などという理由で今でも公安の監視対象になってるらしいが、むしろ自民党が目指す「国民総白痴化計画」などの愚民化政策の方がよほど日本にとって害悪であるとオレは思っている。
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