維新の会による「一党独裁体制」が完全に固まった大阪をオレは「大阪維新共和国」と呼びたい。この地域では地方自治の基盤である選挙制度はいちおう存続はするが、今後は議員定数が減らされて維新以外の少数政党がほとんど議席を獲得できないような仕組みになって行く。これが維新の主張する「身(他党議席)を切る改革」である。大阪で「政治家になりたい」という志を持てばそれはすなわち「維新の会に入る」ということ以外の選択肢がないわけである。そこは共産党に入党する人しか政治を志せないという中国と同じである。
一般人が維新議員になるには「維新塾」などで維新スピリッツをたたき込まれ、筋金入りのイシンジャーとなって先輩に認められ、公認料を払って候補にしてもらうことになる。先輩後輩の序列を守り、上下関係に厳しい維新の会の雰囲気は、高校の運動部や大学の体育会的なものを想像すればいい。公認料を払って公認してもらい、無事に議員になれると報酬の3割を上納金として差し出す。これはもはや政党では無くFCシステムである。だから「党勢拡大」はそのまま「売り上げUP」と同じことである。もはや政治団体ではなくビジネス集団なのである。
この春の統一地方選挙で共産党はかろうじて府議、市議がゼロになることを免れたが、共産党というのは維新の会の思想と相容れない存在である。それは維新が「反共」の名の下に作られた「勝共連合」という組織出身者によって作られた政党であり、「反共」はある意味維新にとっての「党是」みたいなものであるからだ。イシンジャーはおそらく末端のメンバーに至るまで「アカは怖い」「共産党は暴力革命を志向する危険な人達」とすり込まれていて無条件に反発する。議員定数の削減は共産党議員の居る選挙区を狙い撃ちする形で行われる。松井一郎や吉村洋文が「共産党」ということばをネガティブワードとして使いたがるのは、そういう反共思想に頭が支配されているからである。統一教会の考え方をそのまま実践しているに過ぎない。
この維新共和国を支えてるのは住民の極度の「無関心」である。大阪の住民の半分以上の人は政治にそもそも関心がない。投票にも行かない。誰に入れても同じと考えている。実際は同じではないし、維新共和国か統治することで大阪の公教育はますます破壊されるだろうし、中小企業の倒産も増えるだろう。産業振興のための国からの交付金は維新お友達企業に流れ、中小企業にとっての生命線だった府の商工業予算は10年間で9割削減された。その煽りを食らったために、つぶれないで済んだ企業まで大阪では廃業を余儀なくされたのだった。だから政治参加してこの状況を打破しないとますます大阪は衰退するのだが、そんなことは維新幹部は百も承知である。彼らは大阪を滅ぼすことが目的だ。大阪を滅ぼして焼け野原にして、そこに中国企業が進出しやすくするのである。彼らは筋金入りの売国政党なのである。
維新の岩盤支持層は地域ごとに行われるタウンミーティングと呼ばれる信者集会に参加する。そこでは維新議員や吉村洋文の挨拶があり、信者はそこで巧妙に洗脳される。教祖吉村サマはアイドルであり、入場すると会場は拍手に包まれ、オッサンオバハンたちの熱狂に包まれる。オレが「カルト」と感じるのはその部分である。信者たちは教祖サマを無条件に崇め奉っているのである。オレが吉村洋文の嘘をいくら指摘しても「我らが教祖サマが嘘なんて言うはずがない」なのである。この信仰のマインドコントールを解き放つことは不可能だ。この信者たちという岩盤支持層が少なくとも50万票くらいは集めてくるのだろう。
維新議員の街での活動はとても目立つ。朝の通勤時の駅立ちは必須である。そもそも維新の会は体育会的なノリの組織なので、この朝立ちをどれだけやったかというのはいかに活動に熱心かという物差しになる。駅で通勤の人の妨害をして通路の真ん中に立ちはだかったり、逃げる人にむりやりビラを押しつけようとしている黄緑色の人が維新議員やその運動員である。また維新の幹部議員には元自民党の世襲議員が多く、後援会組織などはそのまま引き継いでいてドブ板式の地域密着型選挙運動ができることも強みである。大阪に古くから居住する人達をそうやって囲い込みつつ、都心部のファミリー層には「教育に力を入れる(嘘)」「子育て支援{嘘)」を訴えて支持を求めるのである。
この「維新共和国」で維新以外の政党が活動を行うことはきわめて困難である。公明党は幹部が馬鹿すぎて話にならない。本来なら自民党と連携して維新勢力と戦わないといけなかったのに、衆院選で協力してくれるというエサに釣られて維新と野合して与党になり、結果的に維新の大阪支配に協力することとなった。単独過半数を確保して公明党なしで支配できるようになった今、馬場代表は「公明党との関係はリセット」と宣言した。利用価値のなくなった公明党はポイ捨てされたのである。都構想の住民投票などでも公明党は維新に協力してきたわけで、まあていよく利用されただけのことだ。幹部が馬鹿だからこういうことになるのである。
自民党は大阪を見捨てた。これは間違いない。維新の会は自民党の中でも安倍晋三や菅義偉と近かった。結党時には安倍晋三を盟主に仰ぐ案まであったのだ。維新は実質自民党スガ派みたいなものだから、大阪で自民党を守る必要など全くない。自党の分派が勢力を伸ばすのは自民党にとって何の問題もないし、むしろ反自民の票が他党に流れるくらいなら維新で拾ってもらった方が好都合なのである。改憲で対立すれば、自民は公明党を切り捨てて維新と連立政権を作るかも知れない。利権体質という点で維新と自民党は親和性が高いからである。まあゼニを巡った争いは起きるだろうが、それは自民党内でも過去にあったことである。
大阪維新共和国で他党は衰退するしかない。公明党はほそぼそと命脈を保てそうだが、立憲や共産党の議員の生殺与奪の権はもはや維新に握られている。選挙区の定数を減らされたらそれでアウトである。
大阪府知事選挙で吉村を倒すためには、その戦いにどんな意味があるのかというキーワードが必要だった。谷口真由美もたつみコータローもそれを示せなかったから敗れたのである。おそらく二人ともオレがここで書いてるようなレベルでは維新の本質を理解できていなかったのだろう。維新の邪悪さを全く分かってなかったのだ。
立ち位置的に反維新の戦いを挑めるのは「れいわ新選組」「共産党」しかない。大石あきこさんは明確に「反維新」の立場を打ち出しておられる。大阪の数少ない反維新勢力を集めて共産党かれいわ新選組に一本化すれば、かろうじて参議院の議席を取れる程度だろう。自民党や立憲民主党ではもはや維新とは戦えない。
オレは今後の「反維新」の戦いをどうするのかある意味悩んでいる。だまされて吉村に投票する人達、選挙にも行かない無関心な人達が多数派の大阪でオレが思うのは「そんなアホどもはもう見捨てればいい」ということである。自分もさっさとこの維新共和国を見捨てれば楽である。ただオレには維新というこの「人類の敵」レベルのカルト集団と戦わなければならないという使命感もある。それは少数ながらもオレと一緒に戦ってくれる人が存在するからである。オレはそういう仲間を見捨てるわけにはいかないのである。雨の中、靫公園から難波までの「カジノ反対」のデモ行進を一緒に歩いてくれた仲間と一緒に頑張りたいのである。大阪をあきらめたくはないのだ。戦いを終わらせたくはないのだ。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記