2022年12月05日(月) |
怖い保育士・・・ |
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オレの息子たちは幼稚園が大好きだった。3年保育でしっかりと面倒をみてもらったのだが、幼稚園の先生はとてもやさしくて、園での日々を楽しく過ごせていたのである。子どもの人格形成という大切な時期に、そこで愛されて大切にされて育つということはとても大きなことだと思うのである。オレにとってさらに幸いだったことは、その幼稚園にはオレがかつて公立高校時代に教えた生徒がたくさん赴任していたことだった。かつての教え子が今度は自分の息子たちの面倒をみてくれたのである。
静岡県裾野市で、幼児虐待を繰り返してきた保育士3人が逮捕された。実名報道され、顔も出たわけだがこの保育士たちにも家族が居るわけで、おそらく今度は保育士の家族へのバッシングなんかが起きるのかも知れない。犯罪というのは常に犯罪者本人ではなくその周辺の人物を不幸にする。池袋の暴走事件で加害者の飯塚院長よりも、その家族が受けたさまざまな世間からのバッシングがひどかったように。
オレはこのような事件はやはり個人的なものだと思うので、家族へ攻撃をする風潮は許せないと思うのである。しかし、もしも我が子が虐待被害を受けた側だとしたら、その虐待保育士の子どもに対しても「あいつの子なのか」と思ってしまうことは否定できない。殺人者の親に対して「おまえがこんな子どもなんか作らなかったら・・・」と思う感情と似ているような気がするのだ。
今回の裾野市の保育園の事件でさらに問題なのは、園長がその加害保育士をかばって問題を隠蔽しようとしたことである。告発しようとした保育士には土下座して懇願し、その一方で口封じのための誓約書を取っていたという。「保身」や「園の体面を保つ」ことしか考えてない連中には辟易する。保育所で一番大事なことはそこで過ごす子どもの幸福ではないのか。
1歳のいたいけな幼児に対してどうして加虐したいという気持ちが生まれるのか。逆さづりにしたりして加害することでどんな悪影響があるのか。少なくとも人格形成という大切な時期に虐待された体験を持つ子どもが他の子たちと同じように育つとは思えないのである。それが将来わかったとして、どのような形で園は賠償するのか。未来に於いて起きることは予想できないし、その因果関係もわからない。
逮捕された保育士たちも、自分たちの加害行為が「逮捕」に相当するものだとは思わなかっただろう。「これくらい誰でもやってる」と言うかも知れない。維新議員の不祥事が起きたときにあの松井一郎が「他党もやってる」と言うのと同じく、愚劣な人間というのは似たような行動や発言をするものである。
保育園でどうして虐待が起きるのか。本来、子どもが安全に過ごせるはずの場所がどうして子どもに危害を加える場所となってしまうのか。オレはそれが不思議で仕方がないのである。今思うのは、つらい思いをした子たちが、愛情に包まれ、抱きしめられて「自分は愛される存在なんだ」と感じて欲しいということだけである。
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