2022年10月11日(火) |
阪神がヤクルトに勝つには |
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セリーグCSのファーストステージ、3位阪神は2位のDeNAと対戦し、おたがいに貧打ぶりを発揮して星を分けた後。10月10日の最終戦で阪神が逆転勝ちして阪神がファイナルステージでヤクルトと対戦することが決まった。
さて、せっかく始まった下剋上である。ついでにヤクルトも撃破し、日本シリーズも制してもらって、初の「ペナントレース5割以下のチームが日本一」という珍事に向かってばく進して欲しいのである。
阪神が強大なヤクルトを抑えることができる方法があるとすれば、それはおそらくこの一つしかないだろう。全打席においてヤクルトの4番村上を敬遠することである。村「神」様には資格はない。うっかり投手がストライクを投げてしまったら全部ホームランされそうなのである。事実、村上にはストライクゾーンの中で打てないゾーンはない。どのコースに来た球もホームランできるのだ。
だったらストライクを投げなかったらいいのである。とにかく勝負しない。走者なしでも勝負しない。高校野球なら批判を受けるかも知れないが、ここはプロ野球なのである。勝つことだけが至上命題の世界で、勝つために行われる戦術はすべて許される。そのうちの一つが「全打席申告敬遠」なのである。
もしも塁が埋まっていたらどうか。たとえば満塁で村上に打順が回ってくればどうすればいいのか。敬遠である。満塁ホームランを打たれるよりは押し出し四球の1点の方がマシである。「満塁でも敬遠」というところでファンは「勝つための大いなる意志」というものを感じるだろう。それが大事なのである。
そうして勝負しないで居ると、村上は調子を落とすはずだ。多少のボール球なら打とうとするはずだ。結果的にフォームを崩して自滅することになるのである。だからこそ勝負してはダメなのである。
投手にとって大切なのはチームの勝敗であって、「村上を抑えてやったぜ!」というくだらない自己満足など全く不要なのである。そんなものがあればトイレに流してくれ。もしも矢野監督が投手に「思い切って勝負しろ」などと伝えたらその指示はクソである。思い切って勝負して打たれたとき、投手が感じるのは限りない無力感とチームメイトへの懺悔の気持ちなのである。「オレが抑えられなくてゴメン」という申し訳なさなのだ。
もちろん勝ち負けは野球の常である。打たれるたびに深い悔恨の情が心を満たすような投手はそもそも野球選手に向いていない。すぐに「なにくそ」と心を奮い立たせないといけないのはわかる。しかし、桁違いの強さの相手の敵に、負けることがわかって立ち向かうのは愚行そのものである。そんなことしないで逃げればよい。野球には「敬遠」という便利な仕組みが存在するのだ。いくらスタンドのファンがブーイングしたとしても、神宮のヤクルトファンなど甲子園の暴徒のヤジに比べれば屁でもない。
そういうわけでオレは期待している。村上と勝負しないで卑怯な戦いで日本シリーズに出るんだと。そしてオリックスと日本一を賭けて戦って欲しいのである。
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