2022年08月18日(木) |
アフロ江草の思い出 |
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オレは20代前半の頃、天然パーマで髪が多くてアフロヘアのようなスタイルだった。そのせいだろうか。教員あるあるの一つで「何の教科ですか?」と訊かれ、国語と答えると「絶対ありえない!」と変な顔をされることが多かったのである。オレがスーツを作ってもらった紳士服店では顧客メモに「美術教師」と勝手に書いてあったのである。そう、必ず最初に「美術ですか?」と訊かれたのだ。そして「違う!」と答えると「音楽ですか?」と訊かれた。芸術家のように思われたのはなんかちょっと嬉しいが、残念なことにオレが演奏できる楽器はあの縦笛(リコーダー)くらいである。絵もとてつもなく下手くそだ。
30代になって髪が薄くなってくるとさすがにアフロヘアではなくなった。短髪になってから同じ質問を受けたときに、相手から言われるのは「社会ですか?」という質問に変わった。しかし、社会科や理科と思われることがあっても、国語と思われることはなかったのである。
退職を前にして、自分の仕事を振り返って、「教員らしさ」とは何かなと思う。27歳の時のヨーロッパ放浪旅行の時、自分の職業を教師だというと、必ず英語教師かと訊かれた。そんな流ちょうにしゃべっていたのではないけど、少なくとも海外で普通に英語をしゃべる人ということでそのように思われたのだろう。まさか日本語の古典を教えるような教師であるとは誰も思わなかったわけである。
まだ20代前半の頃、夜の名神高速をかなりスピードを出して激走していた。するとパトカーに追尾されていたようで、突然後ろで回転灯が回ったのであわててオレは路肩に車を寄せて停まった。「何キロ出してるんだ?」「タコメーター4000回転超えていただろう?」と訊かれたオレは、「前ばかり見ていてメーターを見ていませんでした」と答えた。パルサーEXAを改造していることを疑われ、ボンネットを開いて中を確かめられた。そして職業を訊かれたので「教員です。高校です。」と答えると、滋賀県警高速隊の警官は「ほんとか?」と目を丸くして驚いたことを思い出す。速度を計測されていないことには自信があったし、警察官も何らかの切符を切らないと引き下がれないわけだし、「通行帯違反」ということになった。たぶんその時のオレは150キロ以上で走っていたような気がするが、どうか時効ということで許して欲しい。そんな危険運転はもう絶対にしない。
ツイッター上では「南河内の罵倒王」であるオレが、実はまっとうな職業であることは知らない方が多い。それはそれでオレの素性を別に宣伝しようとは思わないので今のままでいいのだが、「暴言コラムニスト・投資家」という肩書きを名乗ってる以上、その肩書きに関してdisられることはよくある。「暴言だったら何でも言っていいのか」とか「投資家のくせにこんなことも知らないのか」などである。
いずれ教員の身分は失うし、そうなると無職のただのニートとなる。その時は肩書きを「年金生活者」としたらいいのかも知れない。人はさまざまな属性を持つが、オレはそうした属性を超越したところでいつまでも「暴言コラムニスト」でいたいと思うのである。
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