2022年05月31日(火) |
アメリカの銃規制とロシア |
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アメリカでは銃規制が進まない。「全米ライフル協会」という団体が圧力をかけるからだというが、殺傷力の大きい自動小銃みたいなものを市民が購入できるというあたり、日本人の感覚からは考えられない。そういう武器をDQNが持ったら危ないじゃないかというのが正常な市民感覚である。
この世にDQNというものが存在しなかったら犯罪はほとんど起きないだろうし、人々は平和に暮らすことができるだろう。しかし現実には多くのDQNが存在し、家庭内ではDVを重ね、家の外では性犯罪や窃盗、強盗、殺人事件を起こす。アメリカでは人口に於けるDQN率が日本とは比較にならないほど高く、その結果として銃器による犯罪で年間に1万人以上が死んでいるという。交通事故の死者よりも銃で殺される人の方が多いのである。
もしも日本で銃の所持が自由化され、殺傷力の大きな銃器が買えるようになればどうなるだろうか。秋葉原で無差別殺人が行われた事件があったが、あの殺人者がもしも自動小銃を手にしていたら犠牲者は数倍になっただろうし、大阪で起きた教育大付属池田小学校の事件で宅間守が包丁ではなく自動小銃を使っていたら死者は百人以上になっていただろう。虐げられた者たちの怒りはなぜか彼らを搾取してきた為政者や大金持ちの方には向かわずに無関係な民衆へのテロとして暴発する。銃犯罪に正義の犯罪など存在しないのである。これは銃社会のアメリカでさえそうなのだから、日本で自由化された銃器が犯罪にのみ使われることは容易に想像できる。
ここでDQNというのを個人ではなく国家単位で考えればどうなるだろうか。それが今のロシアの姿である。DQNが市民社会に対してテロを起こすように、DQN国家はまともな民主主義国家に対して国家レベルのテロ、つまりは戦争を仕掛ける。
アメリカはロシアの侵略戦争を非難するが、自国内のDQNたちが起こす無差別殺人に関しては止められない。銃規制はいつもかけ声だけであり、実際には野放しである。18歳の少年でも親から誕生日プレゼントに銃をもらって、それで学校で乱射事件を起こしたりするのである。
銃による犯罪をなくすには、この世から銃を排除すればいいわけでカナダ政府が今やろうとしている規制はそれにあたる。殺傷力の高い銃器は国が買い上げてくれるという。銃をなくす方がDQNをなくすよりも簡単である。ちなみにDQNをなくすことは絶対に不可能だ。オレはDQNというのは教育の問題だと思っていたが、高学歴の者の中にもDQNがいることを思うと、人類のDNAには一定の割合でDQNになる遺伝子が組み込まれてるとしか思えないのある。
アメリカが銃規制できないことと、世界で核軍縮が進まないこととは同じ理由だとオレは思っている。銃を売って儲けてる連中の利益を守ることと、武器商人たちの利益を守ることは同じ行動原理である。
日本は世界でも希有の安全国家である。それは銃器が一般市民の中に存在しないからであり、犯罪に使われることも少ないからである。その状況は憲法9条の規定で他国に軍隊を派遣しなかったから戦争に巻き込まれなかったことと似ている。
「憲法改正」を声高に叫ぶ人たちがいるが、それは銃がなくて安全だった日本がアメリカのように銃器が氾濫する国へと舵を切るのと同じことである。戦争が普通にできる国というのは、市民が銃器を手にして人が殺せる社会と同じである。
日本が民主主義国家でいられるのは、少なくとも政治家の中に極端なDQNがいなかったからである。しかし最近の日本はそうでもない。安倍晋三のようなDQNが内閣総理大臣になれる国になってしまった。大阪で威勢がいいあのクズ政党の議員のDQN率も高い。そういう連中がのさばるようになれば、日本もDQN国の方向に舵を切る可能性が出てくるのである。
まっとうな市民であるオレはそうした日本や世界の滅びの姿を死ぬ寸前に目撃するのか。あるいはオレが死んだ後に地球が滅亡するのだろうか。それはわからないが世界が滅びるという未来は確かである。社会がDQNを排除するチェック機能を失いつつある今、滅びの姿は現実のものとなろうとしている。
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