2022年02月06日(日) |
ロシアと中国と米国 |
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世界のさまざまな国の中でロシアと中国は特別な存在である。この二国は「他国への侵略戦争を肯定している」という点で全く他の国とは異質の価値観を持っているのだ。かつての帝国主義国家は第二次大戦によって否定されたはずなのに、未だにその残滓を残しているのがこの二国である。
その理由ははっきりしていて、この二国が民主主義国家ではないからである。国民が侵略戦争を支持しないと戦争は起こせない。過去のアメリカのように国民の多数派が馬鹿である場合はベトナム戦争などを起こしたわけだが、そこで多くの犠牲を払ったアメリカは「勝つ戦争しかしない」という方向転換をした。そして今や戦争はアメリカにとって軍産複合体を儲けさせるためのビジネスになったわけである。ビジネスとしての戦争ならば、自国がわざわざやらなくても世界のどこかで殺しあいさせればいい。自国民は血を流さずに利益だけが転がり込むのだ。北朝鮮の独裁者がミサイルをポンポン打ってくれるだけで自民党や維新の会のの支持率が向上し、防衛省が武器を大量購入してくれるのである。もしかしたら北朝鮮のミサイル資金はアメリカがこっそり融通しているのかもと思ってしまうくらいである。さすがにそれはないとは思うけど。
ロシアはウクライナ侵攻を公然と表明し、大軍を国境付近に展開させている。侵攻が開始されれば多くのウクライナ市民が殺されることになる。このような蛮行をドイツは「LPGの供給を止められたくない」という理由で静観し、EU諸国はエネルギー供給をロシアからのパイプラインに頼ってるために形だけの抗議しかしない。
オレは自衛隊が米軍の補完勢力として使われることには反対だが、ロシアのような侵略国家に対して「正義の軍隊」としてウクライナに派遣され、そこで戦うことは正義ではないのかと思うのである。もっともオレがウクライナ側に立つことを正義と思う時点でアメリカの側、資本主義国家の陣営に肩入れしてしまってるわけで、公正に両者の言い分を聞いて判断を下してるとはいいがたいわけだが。
ロシアにはロシアの価値観や正義があり、自国を亡命した人を他国まで追いかけて暗殺しに行くということまでも彼らには正当なことなのだろう。それが間違ってるという判断は誰にできるのだろうか。
中国の戦国時代に墨翟と呼ばれる思想家がいた。彼は「兼愛非攻」という価値観を説いた。彼の思想は「墨子」という書物に記されていて簡単に読むことができる。「兼愛」とは区別せずにすべてを愛するという意味である。万人を差別無く愛せよという教えで現代の博愛主義のようなものだ。「非攻」というのは戦争による浪費や衰退、無差別殺戮などを非難し、他国への侵略戦争を否定する教え。ただ、墨翟は防衛のための戦いは否定せず、彼の率いた墨家という集団は土木、冶金といった工学技術と優れた人間観察という二面から編み出された守城技術を磨き、他国に侵攻された城の防衛に自ら参加して成果を挙げたと言われる。「一人を殺せば死刑なのに、なぜ百万人を殺した将軍が勲章をもらうのか」という疑問を投げかけたという。
オレはもしも憲法を改正するならば、平和主義をさらに発展させたこの「墨子」の思想の域まで高めることを願う。そして自衛隊は災害救助や侵略を受けた国の国民を守るための「正義の戦い」のためにどこへでも派遣される軍隊となればいいと思っている。侵略を受けた人々が、自分たちを救いに来てくれた軍が付けた日の丸のマークを見て歓喜の涙を流すような、そんな存在であって欲しいと願うのだ。
軍隊というのは「防衛」と名乗りながら実際は侵略軍である。日本の「防衛省」はアメリカでは「国防省」である。そもそもアメリカが本土防衛のために戦ったことなどない。アメリカにとって自国領土が直接攻撃を受けたのは太平洋戦争の時の真珠湾攻撃と風船爆弾くらいだろう。ベトナム戦争や湾岸戦争でもわかるように米軍というのは基本的に「侵略軍」なのである。
日本はアメリカの同盟国であることをやめ、どの国とも軍事同盟を結ばない孤高の国家であることを宣言し、中国とアメリカが勝手に戦争する時は「日本は無関係」と両国にどちらにも協力することを拒否すべきだ。そして両国に対して同時に戦争の愚かさを説いてやめさせるための外交をすべきである。
戦争が起きればウクライナの民衆の多くの血が流される。下手をするとNATO軍とロシア軍の戦闘に発展し、それは中国を巻き込んだ世界大戦につながっていくことになる。日本はそこで何をすべきなのか。こんな大切な時に岸田総理はなにも考えていないのである。日本の政治家はほんまにボンクラである。
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