2022年02月04日(金) |
北京五輪という無駄行事 |
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今日から北京五輪が開催される。雪がほとんど降らない北京周辺でどうやって五輪を・・・と思ったが大量の人工降雪機で雪を製造してそれをゲレンデやジャンプ台にはりつけて開催するのである。そのためにどれだけのエネルギーを無駄遣いしているのだろうか。世界中の人々が環境問題を意識して温室効果ガスの排出量を減らそうとし、クルマをEV化し、化石燃料の消費を減らそうとしてるのにそれに逆行する愚行である。そもそもこんな都市での開催を認めてはならなかったのである。
同じ都市で冬季と夏季の両方のオリンピックが開催されるのは史上初らしい。そういう偉業を成し遂げた偉大な人物として習近平の名前は永遠に残るのだろうか。ただの国威発揚とか、独裁者の自己満足のようなくだらないことのために五輪を利用しないでもらいたいのである。昨年の東京五輪でも明らかになったように、五輪なんてしょせんぼったくり男爵とその取り巻きが金儲けし、開催した都市に莫大な借金を背負わせるだけのクソ行事である。東京都民はコロナ禍で強行され、多くの感染者を出したあの五輪のために多くのゼニを吐き出すことになるのである。オレが都民だったら絶対反対だった。五輪なんて決してやるもんじゃない。よその国にやらせて参加するだけでいいのである。
人工雪を作るためのコストというのはどれくらいなんだろうか。日本のスキー場でも雪不足を人工降雪機でカバーすることは普通に行われている。もっとも雪の降らない地域のスキー場はどんどん閉鎖されてしまった。兵庫県の北部にある神鍋高原とかハチ高原のスキー場などは、寒波がこないと営業すらおぼつかないのである。
自然の降雪と人工雪ではゲレンデの状態も違うだろう。選手たちはもちろんその微妙な感覚を理解してスキー板に塗るワックスを最適なものに変えないけないわけだが、しょせんはかき氷である。どれだけ自然に近づけても本物とは違うのだ。
東京五輪の時に日本人は学んだはずだ。オリンピックは開催するものではなくて参加するものである。開催国ほどそんな役回りはない。多くのものを犠牲にして、貴重な国民の税金を使って、結果として残るものが「国威発揚」なんてものならそんなものいらない。金メダルが多いことがいったい国の価値とどう関係するだろうか。そんなことが国民の幸福につながるだろうか。
今、自分の目の前の生活をどうにかしないといけないほど追い詰められた人が日本には無数にいる。生活苦やいじめ、虐待から逃れるために自殺する人もいる。そういう人たちがオリンピックの日本人の活躍を見て勇気づけられて、がんばって生き抜こうという気持になるのだろうか。「否」である。金メダルの数よりも大切なのは、自分が生きるために必要なわずかなゼニである。
資源を無駄に使い、多くの浪費の上に行われる北京冬季五輪は、同時に人権問題などの多くの矛盾を抱えた中国という独裁国家の一つの政治的パフォーマンスである。選手を送って参加するということは、中国政府のやってる隔離政策や宗教弾圧政策を認めているのと同じである。真に抗議する意図があるならば、一切の交流を断つと宣言して、中国に改善を求めることだ。
中国には「渇しても盗泉の水は飲まず」ということばがある。堂々と他国の領土を侵略する中国が「盗」の国家であることは間違いない。「あなたがたは国家として間違ってる」と訴えないといけない。そして日本の政治家は堂々と中国に対して「ウイグルでの人権抑圧」を止めるように申し入れるべきだ。習近平に面と向かって言わなければならないのである。中国、ロシアという世界に二大独裁国家が仕掛けようとしている世界大戦に対して「NO」と宣言しないといけないのだ。アメリカの支配から離脱し、どの国とも軍事同盟を結ばない誇りある孤立を目指してもらいたいとオレは思っている。
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