毎日新聞の12月2日付「余録」にこのようなくだりがあった。
人間には「知を愛する人」「勝利を愛する人」「利得を愛する人」がある
読んでいてオレは思わず「なるほど!」と思ったのだが、この3類型は政党にも当てはまる。政党には「民を愛する政党」「勝利を愛する政党」「ゼニを愛する政党」があると。民を愛する政党はれいわ新選組であり、勝利=党勢拡大を愛する政党は維新の会であり、ゼニを愛するのは自民党である。そしてもっとも国民のためになるのはもちろんのことだが、民を愛する政党である。単なる党勢拡大という権力争いにしか興味がなく、行政能力の全くない維新の会や、自分たちの金儲けのことだけに熱心に努力している自民党がクソなのはもはや言うまでもないだろう。
まともな行政能力のない維新の会の連中が「身を切る改革」と称してしていることはただの公務員減らしである。公務員をどんどん減らして、そこにお友達企業であるパソナの派遣を送り込む。本来支払っていた人件費の一部をお友達への利益に付け替えるだけだ。同様の発想で博物館学芸員や図書館司書もどんどん減らした。
このような資格を必要とする専門職がどんどん非正規雇用に置き換えられ、常勤職員が減らされて非常勤ばかりになっていく。その結果起きることはどういうことだろうか。橋下徹は図書館司書の仕事をTUTAYAの貸出業務程度にしか考えてないから一方的に廃止してしまったわけだが、あまりにも仕事内容に関する知識がなさすぎるのである。
吉村洋文は保健所職員の削減に関して、「仕事のないときはぼーっとして座ってるだけ」という発言をした。あまりにも仕事を舐めた発言である。テレビででまかせをしやべっていてそれでOKというおまえらくそ政治家の仕事レベルとは全く違うのだ。吉村洋文や橋下徹、松井一郎なんかはおそらく教員の仕事も「授業のないときはお茶を飲んでぼーっとしているだけ」と思っているのだろう。
オレは図書館司書という職業はすばらしいと思っている。オレの尊敬する作家、阿刀田高さんは国立国会図書館の司書業務についていて、そこで得た膨大な知識が後の作家活動を支えた。オレのようなふまじめな人間にはとても務まらない激務である。オレは何人かの司書の職に就いた高校の同窓生を知ってるが、みなさんとても勉強家で立派な方々である。どの方も公務員として図書館運営業務に就いておられる。
最初の3類型に戻ろう。今もっとも必要なのは「知を愛する人」であり、その価値をきちんと評価する政党ではないのか。自民党が知を愛していないからこそ学術会議のメンバーを一方的に外したりしたのではないか。そして同じことをもっと推進しようとしているクソ政党が維新の会ではないのか。
オレは知を愛する人間である。学ぶことの価値を生徒に伝えていきたいといつも思っている。それだけに維新の会の醸し出す「反知性主義」「マイルドヤンキーの行動原理」が全くもって許せないのである。
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