2021年10月10日(日) |
資産課税に反対する |
携帯用URL
| |
|
サッチャー元英首相が「金持ちを貧乏にしても貧乏人は金持ちにはならない」と語ったことがある。金持ちへの課税強化という方針を岸田文雄総理が語った時にオレはこの発言を思い出した。そしてこういうことを言いたいのである。「貧乏人を少し豊かにすれば金持ちはもっと金持ちになる」と。日本の失われた30年というのは、その可能性から財界も政治家も逃げてきた果ての現象であるのだとオレは思っている。
もしもオレが今受験生であったならば、経済学部に進みどうすればみんなが豊かになれるのかという方法を考え、よりよい経済政策とは何かを模索しただろう。文学の世界よりもずっとそのほうが面白いような気がするからだ。
経済学とは人を幸せにできる学問であるとオレは思っている。マルクス経済学もその行き着くところは社会主義や共産主義の実現であったわけだ。実際はその理想通りにはならず、ロシアや中国の例を見る限りではもっとも民主主義と遠い状態になってしまっているけれども。
大阪南部の寺内町である富田林では酒造業が盛んで、酒切手という一種の商品券が通貨代わりに流通していた。渋沢栄一はやはり銭と引き換えできる手形を発行し、農村の人々の間で通貨の供給量を疑似的に増やすことに成功した。今の問題はそこなのだ。将来は税として回収するとしても、今庶民の間で流通する貨幣の総量を増やすような政策がどうしてとれないのか。短期間で貨幣がその持ち主を変えてどんどん流通する状況こそが「景気が良い」という状態であるとオレは思っている。
たとえば住民の高齢化が進み、その大半が年金暮らしというような村が存在するとする。もしもその村の中だけでお金が循環するような仕組みを作ることができるならば、その村は入ってくる年金でどんどん豊かになる。電気代や水道代といった地域支出合計よりも、入ってくる年金の方が多かったら地域の資産総額はどんどん増える。そうなると都会のワーキングプアよりも豊かな田舎で過ごしたいという若者が戻ってきて新たなビジネスチャンスが発生するだろう。
もっとも岸田の発言は世の中の裕福な層から一斉反発を食らったようで、それはすぐに株価下落という形で明確に示された。岸田は税収増のプランが描けていないようなのだが、少なくとも「新自由主義路線を見直す」という発言をしている以上、維新の党とは明確に対決する姿勢を示して、維新の連中が自民党の2軍にもなれない売国集団であることを国民の前に明らかにしてほしいのである。
国民の多くが「こんな収入では結婚しても子どもを進学させられない」と感じている時代の閉塞感をどうやって打ち破るのか。高度成長の時代には「給料はどんどん右肩上がりで増えていく」という夢があった。その時代を取り戻すことは本当に不可能なのか。いっそのこと国立大学は授業料全額無償で奨学金も貸与ではなく給付されるという仕組みにすれば、オレは奨学金問題を一気に解決できると信じているのだが。
ゼニのない若者でも努力すればゼニなんかなくても大学に進学できるというのは、戦前には実現していたことである。それが豊かな現代に実現できないことの方がおかしいのである。国公立大学に優秀な学生を集めれば、その対極に存在する貧民からの搾取の装置であるFランク大学を衰退させることができる。某N大学のような理事長の財布となってる大学は規模が大きくてもつぶすべきである。
←1位を目指しています。
前の日記 後の日記